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ホームページの6月のメッセージでお伝えしたように、

ホームページの6月のメッセージでお伝えしたように、5月の29日から6月の1日にかけて東北の地震の被災地にお見舞いに出掛けた。

 

29日は福島県は郡山にあるライブハウス・ラストワルツでライブを行い、オーナーの和泉さん他、ファンの皆さんの顔を見てとりあえず安心したが、郡山は地震の被害もさることながら、話しを聞いて原発事故の方が遥かに深刻であることを実感した。

 

翌30日は車で東北のイベンターであるノースロードの渡部さんの案内でマネージャーの根岸ちゃんと三人で岩手県は大船渡に向かい、三浦和人君とのジョイントコンサートの主催者でもあった榊田さんを訪ねた。震災後しばらくは彼と連絡がつかず、三浦君と多いに心配していたのだが、実際、彼の家も津波にやられ、陸前高田の病院に勤めていた奥さんとも彼自身3日も4日も連絡がつかないほどの状況にいたらしい。彼と久しぶりに会って、人懐こい笑顔はそのままで、避難所暮らしの後、仮設住宅にようやく移ったところらしいが、歌を頑張って下さい、と逆に励まされたほどに気丈に振舞ってくれ、この夜、人を集めライブまで仕込んでくれていた。
ライブ終了後にファンの皆さんからお預かりした善意の義援金100万円を大船渡のPTAの会長をなさっている榊田さんにお渡しして、子供たちのために役立てていただくようにお願いすることにした。打ち上げの食事会では避難所から来て震災後初めて外で食事をされる方がいたり、震災後初めてお酒を飲んだという方がいたりで、各テーブルを回って色んなお話しを聞かせて頂いたのだが、その中のファンの方の一人に言われた「龍雲さんは作業なんかしなくていいんです。歌ってくれればいいんです」その言葉に涙が出るほどに逆にまた慰められ勇気を頂いた思いがした。

 

実は今回の目的は、オールジャパンの一員として被災地で勤労奉仕を一日でもしたいという思いで31日は一日そのために空けていた。しかしこの目で現地を見て、重機による作業はあっても、人手による瓦礫の撤去などといったものは今の段階では蟷螂の斧が如きことであるとわかって、沖縄で用意して来た重さ1トンにも耐えるという安全靴や防塵マスク、ゴーグルなどは全く不要であった。それでも何か手伝うことはないかと訴えて、ようやく榊田さんの事務所の掃除を半日手伝わせて頂くことにした。そのあとで、コンサートの音響を手伝ってくれた方が津波に流されて亡くなったということで、実家までお線香を上げさせてもらいに行くことになったのだが、その途中、陸前高田を通って、その町の津波被害による惨状のもの凄さに某然として言葉を失ってしまった。本当に多くの人が亡くなったんだなと思わせるのに十分なそれは光景であり、人の感情を遥かに越えた得体の知れない悲しみを生まれて初めて味わった気がした。

 

そして翌日の6月1日は、福島県はいわきのライブハウス・バークイーンでのチャリティーライブため大船渡を後にした。高速を下りてお店に入る前に被災した小名浜の港を通って来たが、やはり被害は激しく、つまり東北の太平洋側は多かれ少なかれみんなこんな悲惨な状況なのだなと思うと、深いため息を吐く以外、口を吐く言葉は何もなかった。バークイーンのオーナーの加藤さんの以前と変わらぬ気遣いに安心させられたが、やはり原発事故のため小名浜の美味しい魚を食べられなくなることを本当に心配なさっていたのが印象的だ。

 

こうした駆け足の見舞い旅ではあったが、被災地を体感して本当によかった。復興はまだまだ緒に就いておらず、愚かな政治を思うと暗澹たる思いがするが、国民がオールジャパンの気持ちを切らさずに今後もそれぞれの立場で先ずは支援し続けようとする気持ちが大切なのだろうと思う。そして原発からこの国を守るためにそれぞれが目覚めること。この国を悪魔に乗っ取られないためにも、我々国民一人一人の今が正念場であることを強く認識させられた旅でもあった。

 

2011年7月1日