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メー・デーに生まれて来るとは、何とも賑やかなことか。

メー・デーに生まれて来るとは、何とも賑やかなことか。
5月1日は次女・佑果の14歳の誕生日である。長女・伶奈の時はその出産に立ち会えたのだが、佑果の場合、夜明け近くに産まれて沖縄での出産に東京にいて間に合わなかった。そのことを昨日佑果が皮肉っぽく言うのを、「パパだって朝一で沖縄に行こうとしたのに、その前に佑果が早く産まれて来るんだもの」と言い訳をしたが、その目はそっぽを向き取り付く島もなく話し合いによる和解は望めそうになかった。
この子はもちろん今でもとても可愛いが、赤ちゃんの頃は本当におとなしく、親バカだと思われるかもしれないが、ずっと傍らで眺めていても飽きない心の癒される子供だった。ティーンエイジャーになった今はニキビなどできたりして普通に活発な子として素直に成長しているが、先日、大きな声では言えないが、ちょっとした家出をしたらしい。長女によれば母親と食べ物の事か何かで喧嘩して部屋を出て行ったらしいのだが、本人に後で聞くと近くの学校をうろついていただけらしい。何、2,3時間で部屋に戻るのだが、普段は気の利く優しい良い子だが、臆せず勇気を持って自分の意見を言うあたり、その抗議の仕方にメー・デー生まれの血を感じて、経営する側の親としてたじたじとなるのは単なる思い過ごしであろうか。今これを書きながらも、いかにネタがないからと言えども娘の家出の事を書いたりして、もしこのことが彼女に知れたなら小遣いの大幅ベース・アップをただちに要求されるのは必至と冷や冷やものである。どうか内緒にしてほしい。

 

ところでメー・デーの事だが、労働者の祭典として我々が幼かった60年代70年代の頃はなかなか活発であったような気がする。学校では先生達がストでいなくなるので自習が多くなって自分的にはサボれて嬉しかったことを覚えているが、最近はどうなのだろう。メー・デーのテーマも賃上げ以外にも様々にあるようだ。
最近の日本人はおとなしくなったとよく言われもするし自分自身を顧みてもそう思う。
街を行進するいわゆるデモに参加した経験は今までに一度もない。問題意識がなさ過ぎると言われれば返す言葉もないが、昔に比べれば我々世代の多くは似たり寄ったりだろうと思う。時代が豊かになって洗練された感があったことも事実だろう。また一方でその主張自体があまりに極端すぎて付いて行けないというのも確かにある。立ち位置としては、デモを肯定も否定もしない。それぞれの抗議の仕方があって然るべきだと思う。

 

東京のコンサートの翌朝、新橋のホテルで目を醒ますと、シュプレヒコールが聞こえてきた。原発に反対する抗議デモだ。この時ばかりはすぐにエレベーターを降りて行ってデモに参加したいと初めて思った。

 

2011年5月1日