この度、東日本大震災に罹災され、お亡くなりになられた多くの方々に深い哀悼の意を表すと共に、未だ不自由な避難所生活を強いられていらっしゃる多くの皆様に謹んでお見舞申し上げます。
こんなことが起ころうとは誰も予想しなかったに違いない。少なくとも自分が生きてる間には、と。これを運命と呼ぶべきか? 運命と呼ぶにはあまりにも恬淡すぎる。自然というものはこうも無慈悲なものかと愕然とさせられる。
11日沖縄にいて、テレビでその第一報を知り、お台場付近のビルから煙りが立ち上っている様子を見て、3日前までお台場のその辺りに自分がいたことを思うと、俄かには信じられなかった。そこにはいつもと変わらぬ平和な日常があったし、それを全く当然と誰もが生きていたその場所で、今、事が起こっている。その思いは被災された方達にとってこそ、何か呆気にとられたと同時に身震いするような未体験の恐怖の実感だったのではないか。
運命とは命とは何かと深く考えさせられる。結局、人は偶然によって生かされているにすぎないのではないか? どこにも神など存在せず、祈りなど全く無意味なのだといった無神論的絶望感に危うく陥りそうになる。
我々生き残った者はどう生きるべきか。それでもやっぱり何かに向かって祈って懸命に生きるしかない。逝った先人達の死を決して無駄にしないために、与えられた生を真摯に全うすることこそが、その思いに報いるすべてではないかと思う。
3週間過ぎて、もどかしくも徐々にではあるが当初の混乱から抜け出しつつあるように聞く。被災された方達にとっては長く険しい道であろうが、一日でも早く普通の生活に戻れるようにお祈りしたい。
自粛ムードの中、今後のコンサートをどうするか自分の一存だけでは決められないところもあるが、自分自身では状況が許せば出来る限り積極的に行いたいと思っている。そしてすでに震災後のコンサートでは義援金をファンの皆さんと共に集めているし、間もなく「復興」の意味を込めたリストバンドも準備でき、コンサート会場や通販で購入していただければ全額それを義援金に回したいと考えている。一定額集まるまで少し時間がかかるかもしれないが、我々にとっても長い道のりであることに変わりはないと思っている。
被災された知人やファンの方達が未だその苦労の真っ只中にいるのにもかかわらず、僕のコンサートのことを気に掛けって下さっていることを直接、間接に知らされて、本当にありがたくて涙が出た。僕の歌こそそういった想いに生かされている。感謝して止まない。そんな尊い心に報いられるよう、また自分自身の「魂の復興」をも誓って良い歌を唄い続ける覚悟を新たにさせていただいた。
この国の人々が老いも若きも素晴らしいことは今回証明された。間違っているのは政治を始めとしたこの国のエスタブリッシュメントであることも。今こそこの国をみんなの手で作り変えるしかない。原発の問題も含め、ことここに至っても尚、自分の保身をしか顧みない輩がいるとしたら全く救いがないとしか言えない。天の裁きが公正であることを望む気持ちは、何も僕だけではないだろう。
2011年4月1日