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ここ数年恒例としている年初めラスベガス旅行、今年で通算7度目になる。

ここ数年恒例としている年初めラスベガス旅行、今年で通算7度目になる。
正確に言えば、最初の一回だけ家族と夏に訪れている。何故この時期かと言えば、毎年年初めはまだ仕事もエンジンがかかっておらず暇で、何となくその年一年の運試しみたいな感じで一人気ままに訪れている。 この時期は比較的、飛行機代も安く、街もクリスマス後の閑散期みたいなところがあって、人気のシルクドソレイユ「O」などのレギュラーなショウーはチケットが入手し易く良い時期ではあると思うが、他方、コンサートとなると見たいアーティストが見られるのは、3月過ぎてからということが多い。一番残念なのは今年セリーヌ・ディオンが再び3月にショウーをやると言うのにタッチの差で見れないことだ。そんなことを除けば砂漠の中にあって夏の猛暑のラスベガスより、朝夕の寒暖の差こそあれ暖かなこの時期は訪れるのにいい時期だと個人的には思っている。
その比較的静かだと思っていたこの時期のラスベガスが今年は違っていた。いや、というか、訪れる日程が微妙に今までと違っていただけだろうとも思えるが、今年やたらめったらにどのホテルのカジノも中国人観光客が目立って多く感じられた。印象としてはカジノ客の半分以上を軽く占めていたような感じがする。約15年ほど前に初めて訪れた時は逆に日本人がバブルで幅を利かせていたが、今年は全くと言っていいほどその影を感じられなかった。中国のお正月、春節の時期ということもあったのだろうが、ラスベガス経済も日本頼みから中国頼みに完全にシフトしている感があって、アメリカのしたたかさというよりも、日本の元気のなさ、それにひきかえ中国の横溢するバイタリティーを強く感じた。
ラスベガスという人間の欲望の極地みたいな街に来てみると、えげつないほど世界の現実がはっきりと見えることがあり、一瞬ゾッともするが、これが人間の本性かと思えば哀れな愛おしさもまた別に感じられる。どう生きるか、またどう生きても、一生一度。

 

今回そんなラスベガスの旅にあって嬉しかったことがある。
1月に奄美にツアーした時、従兄弟らとのゴルフの打ち上げで紹介された青年が、自分は今たまたま島に帰省しているが、実はラスベガスに住んでいてインペリアルパレスホテルで公演している(マッスルミュージカル)の一員であると言う。ラスベガスに来るならその自分達のやっている「MATSURI(祭)」というショウーを是非見に来てくれと言われ、(マッスルミュージカル)なら以前それに関わっていた友人からも話しを聞いていて、元はテレビから出てオリンピック級の体操選手や一流のパフォーマーを集めたショウーが日本でも大変人気があることも知っていたので、ラスベガスに着いてすぐ彼に連絡したら公演のオフ日にも関わらず数人のメンバーに声をかけてくれていて、メンバー宅でホーム・パーティーの手配までしてくれていた。
メンバーそれぞれに話していても本当に気さくで礼儀正しい気の良い青年達ばかりで、次の日にショウーを見に言ったのだが、よくぞ日本人がラスベガスでここまでと思えるようなエネルギッシュな同胞として誇れる素晴らしいショウーだった。その後バックステージまで案内してくれ、疲れているにも関わらずメンバーとその仲間と僕を囲んで記念写真まで撮ってくれた。今回7度目のラスベガスの忘れ得ぬいい思い出になったし仲間と知り合えて本当に嬉しかった。異国の地で日本を背負って必死で頑張っている彼等に心からのエールを贈りたい。最年長でリーダー格の龍美さん始め、ラスベガス・マッスルミュージカルの皆さん。ありがとう。頑張れ。
公演後、奄美のその青年と千葉出身の花魁役の飯作あゆりさん、それとメンバーではないが奄美出身でラスベガスで奄美料理の店を出すべく頑張っている屋宮真之介くんと3人で食事をした。

 

「帰省した時に豪雨災害で罹災した島の人達を勇気付けるために何か自分にできることはないかと考えてみたんです。それはマッスルミュージカルを奄美で公演することだと思い、その実現ために頑張っています」
今回お世話になった奄美出身のその好青年の名を、重村俊介くんと言う。

 

2011年3月1日