作家の井上ひさしさんが亡くなった。あの特徴のある丸い眼鏡を外したら、どことなくうちの兄貴と似た感じがあって、ずっと親しみを感じていた。
中学時代にたまたま見たテレビのドラマが当時としては斬新でやたら面白く、その原作の本が出ていることを知って本屋で買い求めたら、『モッキンポット師の後始末』(井上ひさし)ということで、この時に初めて井上ひさしと言う作家の存在を知ることになる。
それまで野球ばかりやっていて、活字といえば、まんが『巨人の星』や雑誌の『ベースボール・マガジン』それに野球の教則本ぐらいをしか目にしたことのなかった僕が、その後『青葉繁れる』『ブンとフン』『吉里吉里人』等々を愛読して、(はまる)と言った意味では初めての小説家が井上ひさしさんだった。
最近は、すでに卒業といった感じで、気になりつつも井上さんの作品をあまり読んで来なかったが、時々テレビで拝見した時の優しそうな笑顔と、一転して日本ペンクラブ会長として体制批判めいた記者会見する時の厳しいお顔のその両方をして、昨今の日本人の中の数少ない良心的存在としていざという国難に際して個人的に頼むところの大の人だっただけに、その75歳の死が惜しまれてならない。もう一度、井上さんの小説を改めて手にしてみようと思う。
原稿が遅いことで、『遅筆堂』と自らをそう号したらしい。(むこう)でどんな作を練っているのか。ご冥福をお祈りしたい。
セルフカバー・アルバム『自力本願』の発売が7月7日に決定した。
<五木さんの『暖簾』以来、作家としても多くの作品を書かせていただいた。この度、僭越ながら、作家活動20年経過を記念して自ら歌わせてもらうことにした。それぞれの歌手の方達に育てられ成長した我が子が、生みの親である自分のもとへ一時里帰りして来た感じで、少しでも慈しんであげたい気持ちで唄ったつもりである。
今回は、自分の歌として自分で唄う、だから『自力本願』なのである。
ちょっと洒落てみた。>
と今回のアルバムについて、こんなセールス・トークを考え宣材等に使用している。『自力本願』はもちろん親鸞上人の『他力本願』の捩りである。『他力本願』の本来の意味は、仏の大悲におすがりして成仏させていただくというもので、もちろんもっともなことと謹んで理解している。
アルバム名を『自力本願』としながらも、今回は特になおさら仏の御慈悲におすがりしなければならない。何故ならこれが成功してこそ、その先にあるのが武道館だと思うから。
2010年5月1日