永井龍雲 Official Web Site

お問い合わせ

ホーム > From 龍雲

From 龍雲

2021年8月のメッセージ

オリンピック真っ只中である。

日本の連日のメダル奪取に、朝から今日はどの競技にテレビのチャンネルを合わそうかと悩むほどで、テロップの速報によって他の競技でのメダル獲得を知ると言うことが度々起こっている。スケート・ボード、フェンシング、サーフィンなどはそうで、普段あまり馴染みがない競技ではあるが、やはりメダルを取ったと聞けば嬉しい。今大会からの新競技である二つと違って特にフェンシングは1960年のローマ大会に初出場して以来、種目の一つであるエペの団体戦で日本男子初の金メダル獲得となり、フェンシング関係者の悲願も悲願その達成という素晴らしい結果をもたらしたことになる。

今大会は柔道の放映時間帯が比較的良く、どの階級も応援して見ていたが、これほど金メダルを獲得できたのは男女とも久しぶりではないだろうか。やはり柔道の聖地・日本武道館で行われているということがこの好結果をもたらしている遠因であろう。

こうしたメダル奪取の影で、中にはメダル確実と思われていた選手が思わぬ敗退を喫するということも起こっているが、概ね、スポーツ紙には悲願達成の文字が数多く掲載されているであろうことは想像に難くない。

コロナ禍におけるオリンピック開催には世界中で賛否両論あったように思うが、現時点でも、感染者数が爆発して医療崩壊を起こすようなことがあれば中止もやむを得ないという意見もあり、それも至極もっともなことだと思う。でもその一方で、何とか感染をぎりぎりに抑えてオリンピック・パラリンピックを最後まで終えてほしいという願いにも似た気持ちもあるのは多くの人の気持ちと同じではないだろうか。やはり、努力を重ねて夢のオリンピックという舞台に上った選手に人生の一瞬の輝きを存分に味わってほしいし、その姿を見て感動する自分にまだ鼓舞される気持ちが残っていることを確認する意味でも、最後まで見たいと思う。ただ見逃して置けない問題もオリンピックにはある。

この2020年東京オリンピックの招致がどのような経緯で行われたのか。その明らかな検証なくしては、二度とこの国でオリンピックを開催することはあってはならないと思う。疑惑だらけの安倍政権の時代の賜物であり、招致委員会による招致にまつわる裏金の噂もあり、その運営に当たってもオリンピックの理念を持たなき者同士の癒着としか思えない人選に終始している点においても、何故こんなに歪んだ姿のオリンピックになってしまったのか、検証しなければならない。コロナがなければ闇に葬られたかも知れないことを明るみにするチャンスを失してはならないと思う。さらには、バッハ会長率いるIOCの組織としての透明性に疑問を感じる。

1984年に開催されたロサンゼルス・オリンピックからIOCが商業主義に方針転換したと言われているが、その象徴的な競技がバスケットボールで、プロの選手が参加して米国が圧倒的な勝利を収めたことを記憶している。それまでのオリンピックのイメージというのはアマチュアの祭典というものであり、そこに意義があったはずである。でも指摘したいことは、プロ参加の是非ではない。オリンピックが極端に商業化することによって、巨大なマネーがIOCに集まり、組織が特権化、貴族化することによって、拠って立つスポーツの価値を逆に貶めているように見えることが問題なのである。今大会に際してバッハ会長は、コロナを外に持ち出さないバブル方式で関係者向けのプレイブックは徹底されており、ここから感染を広げる可能性はゼロであるとか言っておきながら、実際は、そうなってはいない。そのいい加減な発言からも、見下されたように感じる日本国民の気持ちを察知できずして、今後のいかなるオリンピックにも素直に応援する気持ちなど到底生まれようもない。

最後に前述の悲願と言う言葉には少し注意する必要がある。悲願達成と言うのは聞こえはいいが、これは勝者が使う言葉で、敗者は普通使わない。負けることを切に願うなんてあり得ないからだ。

沖縄のすぐ隣り台湾を統一することが中国共産党の結党以来の悲願であるらしい。人迷惑な悲願もあることを忘れてはいけない。