ここに一枚の古い写真がある。めったに開けない机の引き出しの中から出て来た。と言っても自覚はあって、ぼろぼろの定期入れの中に入れていたのを、その定期入れを捨てることを決心した時に取り出し、部屋のどこかに仕舞った記憶があり、今、思いがけず、こんな所から出て来た。こんな所と言っても、大事な物を机の引き出しに仕舞うという行為自体はごく当たり前のことであろうが、普段、整理整頓が苦手で、どんなものも部屋中に無造作に散らばらせて過ごしている自分にとって、机の中に仕舞ってあるというのは、却って判り辛い。余程その写真をその時、大切に思ったからのことだったのだろう。事実、その写真はある意味大切な一枚なのだが。
いよいよデビューも決まって、レコーディングのために約一ヶ月間、東京に滞在しなければいけなくなった。その時はまだ福岡にいて、久留米に住んでいた。当時の事務所の社長が新たに作ったレコード店を手伝いながらデビューに備えていた時代で、夢にやっと一歩踏み出せたそんな時だった。上京するにあたり、思えばキアヌ・リーブス似のハンサムな社長が「あのっさい、永井君はまだ19歳なら、スカイメートに入ればよかたい」と久留米弁丸出しで言い、(ははん、社長は俺にミニスカートを着かせてデビューさせる気だな、その手に乗ってたまるか)と、歌手の後ろで踊るあのスクールメイトと勘違いした。
上京するにも自分には金がなく、きっと契約したレコード会社か出版社からのアドバンス(前借り)でもあったのだろう、キアヌ社長が飛行機を手配してくれ、その時にチケット代が確か半額になる航空会社のスカイメートの会員になることを勧めてくれたのだった。
今の時代なら何でも磁気カードに代わっているが、この会員証は横7.5?、縦5?の薄っぺらな紙に、表は証明写真を貼って、会員番号、署名欄それに有効期限があり、裏は『ご注意』と書かれたわずか8項目の簡単な規約と、各社共通であったのであろう『日本航空・全日空・東亜国内航空』と打たれたロゴだけで、それをパウチした実に素朴で懐かしいものだ。手書きで書かれた名前と有効期限の数字が辛うじて判別できるほどに消え残っていて、西暦1979年11月05日の永井龍雲が遥かに遠離って行く感がある。
白黒のその写真は、高校時代の面影をまだ残し痩せてあどけなく、着ている服まで鮮明に覚えているが、この時代の写真はほとんど自分自身では手元に持っておらず、この時代を思い出す縁はこのスカイメートの会員証に貼られた写真これ一枚きりである。
原宿は表参道の建って数年もしていなかっただろうラフォーレで18歳の時に西武新宿線の沼袋から赤坂のバイト先までの定期入れにと安物の皮の定期入れを買って、その中におやじとおふくろと自分と一緒に写った写真と、もう一つ、このスカイメートの会員証を入れてずっと半ばお守りのように、その後もバッグにそっとしのばせておいた。いよいよ皮が炭化してぼろぼろになり、仕方なしに昨年処分した定期入れだったが、共に苦労して来てくれたという思いがあって、スカイメートの会員証とセットで大切な青春の証だった。
今もあらゆる物に囲まれた生活を続けているが、それなりにその時代時代をそれぞれ良いことも悪いことも思い出させてくれてはいる。しかし、もともと物を捨てきれない自分でも、仮に所有するできる限りすべての物を処分しなければならないとしたら、何を捨て、何を残すだろう。その後に買った有名ブランドの高価な皮の財布より、もしかしたら、あのぼろぼろの定期入れだったかもしれない。
これから先、引き出しに入れて持っていても、皮の定期入れもなく、何の役にも立たないスカイメートの会員証だが、そう思ってもやっぱり捨てられない。だから部屋に大小様々な物が溜まって行くんだろうな。
2010年3月1日