二月になりましたね。
何が二月になりましたねだ! すっかりメッセージの更新忘れてたくせに。
そうなんです。一日午前11:30のたった今気づいたところです。もう何十年もメッセージを月一回アップして来ていますが、書けずに間に合わなかったことは何度かあるにしても、頭からすっかり抜け落ちていたことは今までになかったように思います。髪の毛の話じゃありません。で、今慌てて書いている所ですが。何も、毎月一日アップだから今日中でいいだろう、そう慌てることもないだろう、とも思いますが、こんな駄文でさえ楽しみに待ってくれているファンの方に余計な心配、たとえば廃業したかとかついに感染かとかの、そんな不安を抱かせないようにいっときも早くアップしなければいけません。
と、どうにかここまで300字程度書いて、これで消息は少なくても伝えることはできそうなので、とりあえずこれでホーム・ページにアップしてもいいかと思いましたが、これじゃ内容があまりにもなさすぎるので、少し気が楽になったところでもう少し書いてみます。
昨夜、一月三十日の鹿児島のコンサートから帰って来た。六時間ほどかけて。
え!沖縄から鹿児島だとすぐそこだろう。と思われるのはもっとものこと。コロナ禍で予定していた便が欠航になったり、貯めてる航空会社のマイレージの関係もあり今回は行きも帰りも大阪伊丹空港経由とした。伊丹で約三時間ほどの乗り継ぎだったが、ゲート内はすっかり新しく改装されてお土産屋さんもフードコートも綺麗になっており、ラウンジも広々として居心地良く、思ったより時間は早く過ぎた。おそらく、ラウンジで接客するスタッフの女性らは、一昨日も三時間もいた黒ずくめの怪しいオヤジがまた来て三時間もいてラウンジ内をウロウロするのを裏で噂し合っていたに違いない。「ラウンジ・スタッフを査察に来た人かもよ。気をつけましょう」と。
コンサートの前日夜着いた鹿児島は今まで経験したことのないような寒さで、丸い薩摩揚げのような赤みがかった満月が冴え渡っていた。当日も快晴で、桜島が正午前噴火をしたとニュースが伝えていた。青空の下、錦江湾にはイルカも出たとか聞いたし、潜水艦が海上を行くのを初めてこの目で見たりで、気分は満艦飾の横尾忠則画伯のポスターのような目紛しさで、しばし、コロナ禍であることを忘れてワクワクした旅気分に浸っていた。
鹿児島のみならずだが、コロナ禍のこの微妙な時期に、会館始めコンサートを企画して協力して下さったスタッフの方達のおかげで歌うことができ、何よりも何かと不安もある中コンサートに足を運んで下さったファンの方達への感謝はこれまで以上のもので、自分自身決して忘れられない、忘れてはいけないコンサートになっている。
午後八時前にコンサートを終えて外に出ると、正面に桜島が堂々と闇に浮かんでいて、その稜線上に昨夜と同じ月が皎々と輝いて、何か現実離れした神々しさを感じた。特別な一日をいただいたようで、この試練を耐え抜く力としなければと心に期した。頑張って生きて、生きて行くんだ。
伊丹のラウンジのトイレで用足し中、付けてたはずのマスクが突然消えて、どこを探しても見つからず流したのかもと諦めていたところ、左足膝裏から出てきたりと不思議なことがあった。マジックとしかその時は思えなかったが、種明かしすれば、便器に腰掛けて、鼻炎のため鼻をかもうとしてマスクを外してズボンの上に何気なく置いた結果だった。後は想像にお任せするが、不思議なことのある旅だった。不思議といえば、ホテルの部屋の番号が自分の誕生日だった。それともう一つ、コンサート当日が昔付き合ってた彼女の誕生日でも合った。
今は不要不急の外出はなるべく避け、家で我慢して自粛する時だが、一日も早くかつての日常に戻れるようワクチンの有効性を祈って、青空の下、錦江湾を泳ぐイルカのように自由に自然を楽しみたいものだ。残念ながらその姿を見てはいないが。