新年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
ファンクラブの会報に、毎年初めの号には、その年の干支《えと》のイラストを描いて表紙に載せている。
最初は四コマ漫画を趣味で描いてみようかと思い買った三十六色のコピック・チャオと言うマーカーが目的に使われることが一度もないまま捨て置かれ、それなりの値段がしたことを思うとあまりの勿体なさに気付き、何気なくそれで描き始めたのが始まりである。 最初に描いたのは馬だったから、もうあれから八年たったことになる。後四年描ければ十二支を描き切ることになるので、ここまで来れば達成したいと思うが、どうだろう。
毎年それなりに工夫し、ちょっとしたオチをつけているつもりだが、たとえば昨年のものが分かりやすいだろう。子《ねずみ》年だった昨年は新型コロナウイルスの流行さえなければオリンピック・イヤーの年であったので、表彰台にメダルをかけてのぼるねずみに「オリンピッチュー」と叫ばせるといったような実に他愛ないものであった。その程度のものであるが、さて、今年は丑《うし》年と言うことでどんなオチのついたイラストになるかファンクラブに入られてる方は楽しみにしていてほしい。
小学生の頃は絵を描くのが好きで、低学年の頃、つまり、水彩画を習う前のクレヨンで
描いている頃はよく学年の代表として選ばれていたりしていた。宿題ノートの「夏休みの友」だったか「冬休みの友」だったかに佳作で名前が載ったこともあった。漫画もよくマネして描いて「巨人の星」の星飛雄馬の足を高くあげる投球フォームなどを濃い鉛筆で描いては指をいつも真っ黒にしていた。兄姉達の記憶にも「龍はいつも絵を描いていた」とあるように、あの頃、絵に熱中していたことは確かなようだ。
今年も丑年のイラストを描き終えて、また絵が描きたくなっている。もう毎年この時期恒例の思いになって来たが。数時間没頭して描き終えて、ためつすがめつして眺めるのは何とも言えない快感で、もちろん上手であることに越したことはないが、下手は下手なりの満足感がある。とは言え、絵を描くことが物凄い集中力を必要とすることは子供の頃の経験でわかっているつもりである。だからこそ、ここ何年、そんな気持ちがあっても踏み出せずにいた。結局、そのうち心に余裕ができればとか言って描かなくて一生が終わる可能性が高いが、油絵具など使って、何度も何度も納得が行くまで描き直し、自分の心象を描いてみたいというのは自分にとっての見果てぬ夢なのである。
丑年と言うのは農作業を手伝う牛のイメージそのままに耐える年になるとも、また発展の前触れの年になるとも言われている。今年もコロナに自粛を余儀なくされることは避けられないだろう。奇跡的に早々と流行を終わらせられたとしても、これほどまでに傷つけられた経済、それのみならず社会のあらゆるあぶり出された歪みを修復するのに何年もの時を要するだろうことは間違いない。やはり、まだしばらくはひとりひとりが耐えなければならない年になるということは当たっている。 この難しい時代をどう生きるか。冗談ではすまされないところにもう来ている。覚悟してこの一年を過ごして行かなければならない。
でもまだ一年始まったばかり、もう一つの発展の前触れと言うところに希望を抱いて、コロナ後のそれぞれの人または国の発展に繋がる一年に今年はなるという丑年の予想も是非、当たってほしいものである。
十二支を全て描き終えるまで後四年。毎年恒例の思いを抱くそのうちに、はたして油絵具で絵を描き始める心境になれるだろうか。
自分にとっての見果てぬ夢である。