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From 龍雲

2020年9月のメッセージ

新型コロナ・ウイルスが流行して「アマビエ」と言う言葉が聞かれるようになったが、当初は一体何のことか分からず、「甘海老」「奄美へ」か、でなければ単に漫画のキャラクターぐらいに思っていた。テレビなどで繰り返し耳にするうちにそれが疫病退散の効果のある日本の妖怪のことだと知った。
「病が流行したら早々に私の姿を写し、人々に見せなさい」
実際、昔から色んなふうに写されているようだが、有名なのは真ん中から分けた髪の毛が少し外側にカールして、さらには足元あたりまで伸びて、胸にウロコが描かれたものであろう。

突然、大きく話変わって、大リーグで今年ここまでリーグ単独トップの6勝をあげてただ今絶好調のシカゴ・カブス所属のダルビッシュ有投手について。
期待していた二刀流エンジェルスの大谷がイマイチの成績で、今年ドジャースからミネソタ・ツインズに移籍したマエケンは良しとして、日本人の他の選手の成績がもう一つ振るわない中、ダルビッシュの安定感はずば抜けたものがある。ニュースで見るそのボールのキレは素人目にも唸らせるものがあり、大リーグ投手最高の栄誉であるサイ・ヤング賞の有力候補に挙げられている。取れば日本人で初めての快挙になるとのこと。もともと顔の彫りが深く背丈もスラーっとしてハンサムなダルビッシュであるが、今年は野性的に無精髭を伸ばして、なんと言ってもベースボール・キャップから大きくはみ出したクルクルの髪の毛が印象として強く目に焼き付いている。本人はツイッターで、「髪の毛を切ってほしいと言う人へ」としてこう言っている。
「そっとしておいてください。妻に言われても切らない」

ところで、このメッセージの読者は上二つのパラグラフから何を読み解くことだろう。一見、何のつながりもなさそうに思える話題かもしれないが、自分にとっては大ありで、自分自身の髪が現在、この二人(二人?まぁいいか)を足して二で割ったような髪型になっているのだ。ニュー・アルバム『静かな心』を今年2月に制作して、ジャケットなどで使用している綺麗に散髪し写った写真をご存知かと思うが、今やその時とは別人である。町ですれ違ってもキャップをかぶってたりすると「ダルビッシュさんですか」とか「まさかアマビエさん?」と間違えられることがあっても「龍雲さんですか?」と言われることはまずはあるまい。自分で言うのも何だが、それほどの激変ぶりなのである。ここ何年、襟足もすっきりと短めに整えていた髪型もやはりコロナの禍のこれも一つと言えよう、自粛を守ってステイ・ホームしているうちにこうなってしまった。今月から感染状況を注視しながら活動再開を準備することになるが、いよいよ「切るべきか切らざるべきか、それが問題だ」シェイクスピアの苦悩並みの究極の決断を迫られているところだ。人生最後のロン毛への郷愁と、風呂上がりの短髪の手軽さと、両方に日々問い詰められている。
正直今日現在自分予想五分五分と漢字ばかりが並んだが、その通りである。
結果、もし髪を切らずにステージに立つことがあれば反対する人に向かってこう言うつもりである。
「そっとしておいてください。妻がいないので切らない」

安倍首相が病気により辞任した。
長期政権の弊害が色んな問題を引き起こし、それがうやむやに放って置かれたままである。安倍首相にそのすべての責任を押し付けるのは酷だとは思うが、洒落で言うなら「アベビエ」とも言えるか、社会の中に正義が行われないフラストレーションから諦めムードといった心の冷めた気分がわだかまっていたことは事実であろう。今日現在、次の首相選びに与党は躍起になっているようだが、現内閣の疑惑隠しを約束する人物が選ばれることは明明白白だが、一つの期待として思っていることは、首相候補にも名前が上がっている石破・岸田氏、それに石原・中谷氏等は同じ昭和32年生まれで、自分と同級生なら思いは通じるであろうと言うことだ。昭和(もちろん戦後)の平和な時代を生きさせてもらった我々にはあの時代の輝きがわかっているはず。今こそ、与党でも野党でも32年生まれの自分達の世代の政治家がバランスの取れた政治を行う時だと声高に発したい。上の世代でも下の世代でもない。また、今でしかない。昭和32年生まれと言うのは、その前時代とその後時代とを感覚的に理解できるある意味特殊な世代であると自分は直感している。もしそう言う人がいれば、与野党関係なく応援するのだが。
アメリカでも11月に大統領選挙が行われる。トランプはアメリカの大統領であってはならない。世界のリーダーたりえない。今世界は一番大事な時である。平和な秩序を維持できるか、それともさらなる混乱に向かうか。コロナ禍にあってもそのことを忘れてはならない。