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From 龍雲

2020年8月のメッセージ

全国各地で大雨による河川の氾濫、土砂崩れなどが至る所で発生して、被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

温暖化の影響とも言われる地球の気象変化は、これまでの常識を超えたものとなっており、ならば人間の方でも根本的にその対応を変えなければ、毎年のように常態化した豪雨などの災害にこの労苦は繰り返されるだけであろう。更なる堤防等の強化策を講ずると同時に、国はハザードマップを示して、明らかに危険な場所にある家屋については土地を買い取るか何かして住民が安全に住める場所へと移住を促すべきである。先祖伝来の土地を手放すことを嫌がる気持ちはよくわかるが、差し出がましいことは百も承知で言わせてもらっている。命を守ってもらいたいがために。

昨日今日のニュースで言えば、誰もしたがらないアベノマスクをまた配布するだとか、稼働さえ懸念されている六ヶ所村の使用済みウラン再処理工場が安全審査に正式に合格しただとか、全く税金の無駄遣いにしか思えないプロジェクトを与党もいい加減にやめにして、国民の安全を最優先にした災害に強い大規模な国土再建プロジェクトに巨額な予算を投じてほしい。加えて今このコロナ禍にある。こんな危機にこそ、パフォーマンスだけの指導者でなく、人情味があり強いリーダーシップを発揮できる指導者に出て来てほしいと願うばかりだ。

7月6日にギターリストの安田裕美さんが72歳でご逝去された。前月6月11日には服部克久先生がお亡くなりになり、お世話になったお二人には心より哀悼の意を表します。

特に、安田さんには今年2月に制作したアルバムの中の一曲『雫(しずく)』をアレンジと演奏をして頂いたばかりであった。デビューして2年目2枚目のアルバム『発熱』の時、アレンジャーに誰を立てるかと当時のスタッフと話し合った時に、迷わず自分から安田さんにお願いしたいと提案した。井上陽水と言えば安田裕美と言われるように、中学から高校時代にかけて陽水さんのファンで、擦り切れるほど聞いたアルバムの中の安田さんのギターには魂を揺さぶられる何かを感じた。その中でも特に『白い一日』は二人の弾き語りが見事なもので、自分の2枚目の収録曲に『お遍路』と言う曲ができた時、これは安田さんしかいないと即断していた。

『発熱』をグアムのスタジオでレコーディングするようになり、初めてお会いした安田さんの恐いこと恐いこと。グアムのスタジオの湿気でギブソンのギターが鳴らないことに腹を立て、スタッフも含めてピリピリとした雰囲気だったことを思い出す。でもそれは仕方のないことで、当時それほどの仕事をなさっていたと言うことに他ならない。それがデビューして10数年経ったある日突然、安田さんから電話があり、「暇してるなら家でレコーディングしようよ。お金いらないから」と言われ、当時、自宅でのコンピューターの打ち込みにハマっていたらしく、暇と言われれば暇だったので「じゃあ、曲が発売された時の後払いと言うことで」とお宅にお邪魔してレコーディングさせてもらった。レコーディング後は二人だけで酒を飲み交わし私的な話もし、そこで初めてこれまでの恐い人と言うイメージから繊細で優しい人と言うふうに印象が変わった。その後も何曲かアレンジをお願いして、ここ10年ぐらいは他の歌手の方に書いた曲のレコーディングでスタジオに入った時、たまたまギターでレコーディングに参加していた安田さんに挨拶するぐらいであった。

そして最後にお会いしたのは、2年ほど前の福岡で、山崎ハコさんと同じくゲストで参加させていただいたイベントの時だった。少し歩くのに辛そうなことは人から聞いてまたお会いして見てわかったのだが、こんなことになるとは夢にも思わなかった。そのイベントの打ち上げの帰り際に「近くまたアレンジお願いします」と声かけると「了解」と答えてくれ、そう言う経緯もあり今年の1月に電話してアレンジと演奏をお願いしたのだった。「1曲なら是非」と快諾してくれたが、病院に通っているらしいことも仰っていて、「龍雲、俺ももう70だからな」と半ば冗談に、でも染み染みと言った言葉が今でも耳に残っている。

そうして約1ヶ月後、自宅のスタジオで収録して送って頂いたオケのギターは紛れもなく期待通りのあの安田裕美のアレンジと音色で、歌入れの時、『お遍路』をレコーディングした20歳の頃のかつての自分に戻っていた。

この音楽界にあって、自分に優しく接してくれた先輩方が幾人かある。心暖まるエピソードと共に。それは亡くなった方にもまだご存命中の方にも。

感謝しています。伝えられなかった思いは、歌に免じてどうぞお許し下さい。