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From 龍雲

2020年1月のメッセージ

2020年 明けましておめでとうございます

令和と言う元号も二年目を迎え、やっと馴染んできたような感があるが、これからどんな時代になるかは未知数で、現在の混沌とした世界情勢を見るならばしばらくは気の許せない日々が続くだろうことは想像に難くない。
大国の覇権争いが激しさを増す中、日本が外交上果たす役割は大いにあるように思える。昭和の歴史や経済の遺産として中立的立場を取り得るまだ今の段階において、もう一度、隣の国々との関係を修復して、日本が積極的に調停役として平和外交を繰り広げてほしい。そのためには、それぞれの国から信頼を勝ち取ることが必須で、そのための今年であり、日本の平和イズムを世界に示す絶好のチャンスの東京五輪であってほしいと心から願っている。

政治においても人においても年月を重ねて、寛容になるどころかますます頑固で不遜になるのは同じことのようで、今の政治が自分勝手、やりたい放題、反省の色全くなしであるのが、年老いて来た自分にも知らず知らずのうちに浸透されて行くものだとしたら、今ここできっぱりとそれを断ち切らなければならない。
何故なら自分の理想とするところのオイビト(老人)像とは、加齢とともに寛大に謙虚になることであり、無欲に仙人のようにシンプルな心持ちで暮らしたいと願う気持ちとは全くそれは逆の生き方であるからである。
年老いてクレーマーになる人が多い。自分自身にも当てはまることがある。その気持ちを代弁するなら、今まで良しとされてたことがそうではなくなってパニクった状態でいる時に、年下の者に冷たくそれを正されるとプライドを傷つけられたような思いがしてつい怒りが爆発することがある。それは人に迷惑をかけたくないと思う本来真面目な人ほどそうなるものだ。加えて、目上の人に対する若者のリスペクトの欠如が怒りの原因であることもあるだろう。
いずれにせよ、年老いてそうなるのは不幸なことであり、時代に対する謙虚な気持ちと、世代に対する寛容さを心しなければ、老いて誰しもがクレーマーになる可能性がある。だからと言って老人は口を噤めというのではない。言うべきことは言う。それは年齢とは関係ない。ただし、そこに見識と思いやりが伴わなければただのクレームと誰にも聞く耳を持たれまい。

今年はそんなこんなを肝に銘じて、奢らず腐らず謙虚に一日一日を心引き締めて生きて行きたい。まずは、隗より始めよ。
さぁ、2020年、今年も満帆に風を受けて、いざ出航!