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From 龍雲

2019年4月のメッセージ

平成の時代が終わり、新しい元号に変わる。
明日の11:30に公表され、施行されるのは5月1日0時からということ。
平成9年生まれの次女・佑果の22歳の誕生日から新元号だ。
もっとも海外で暮らす彼女には西暦以外あまり関係なさそうだが。
公布前日の今日はテレビでも平成時代の出来事を振り返る番組をいくつか放送していたが、もう忘れてしまっていたような事件などもあって、そう言われればみたいな感じで、この間30年余り、自分のことは意外にはっきり覚えていても世間のことは記憶の遠くに白く霞んでしまっている。
自分のことで言えば、平成元年、五木ひろしさんに歌っていただいた「暖簾」に始まって、父と亡くなった姉と三人で母の故郷である奄美大島は久慈への初めての訪問があり「ルリカケス」という曲ができ、結婚して女の子二人を授かって、その後離婚することになったが、二人の娘も無事、大学を卒業させることができたとそんな平成だった。一昨年まさかの姉が亡くなったことを除けば、まずまずの平成であったと言わなければいけないだろう。
自然災害等に見舞われた多くの人達のことを思うなら尚更に、そういうことを経験せずに来れたことだけでも感謝しなければ申し訳ない思いがする。
何も無理やり取って付けたように平成時代を総括するつもりもないが、とはいえ、誰の人生にとっても30数年の年月は貴重なものであり、それが一区切りし、明日の新元号公布に一抹の寂しさと、入試の合格発表前のようなそわそわ感が多少なりとも起こっているのは事実であろう。果たして新元号は何に。

ショーケンこと萩原健一さんが亡くなった。
小さい頃、グループ・サウンズが好きで、特にタイガースのジュリーこと沢田研二さんの大ファンではあったが、その頃からジュリーのライバルであるショーケンも気になる存在ではあった。決定的にファン意識を持ち始めたのはテレビで放送された「傷だらけの天使」「前略、おふくろ様」からで、ファッションに興味のある男子なら僕のみならずそのカッコよさに誰もが憧れたことだろう。
一度だけ、その憧れのショーケンにお会いしたことがある。
僕をデビューさせてくれた当時プロデューサーの中井國二さんはタイガースの元マネージャーで、グループ・サウンズの晩年にジュリーとショーケンをPYG(ピッグ)というバンドに誘い入れた張本人だったと聞く。その中井さんの六本木の事務所に打ち合わせに伺うと、先に中井さんと打ち合わせ中のショーケンがいて、中井さんがショーケンに僕のことを紹介してくれ、あのショーケンがわざわざ立ち上がって「萩原です」と挨拶してくれた。頭を下げる以外何も言えなかった記憶があるが、スーツ姿のショーケンは本当にカッコよかった。
享年が68歳だったらしいが、当然まだまだ年老いてもダンディーなカッコいい姿を見せてくれると思っていたのに。そう実際、亡くなったと報道される一週間ぐらい前からYouTubeでショーケンのビデオを度々探して見ていたところだった。
少年時代少なからぬ影響を受けた人達が次々に亡くなって行くのは本当に寂しい思いがする。それも自分自身がそういう歳になって来たことに他ならないのだが。

昭和に生まれて平成を過ごし、最後の元号を生きることになる。
いずれにしても、平成と同じに戦争だけは絶対に起こらない平和な新元号の時代であってほしい。