その特徴ある中国風の朱色のお堂で有名な四国八十八箇所霊場の第二十三番札所・薬王寺が見えた時、ここが徳島県最後の札所になることから、ほっとするような達成感に包まれていた。ここまでおよそ306,980歩、208,93kmの道のりを、残しておいた手元の1日ごとの記録を足せば歩いて来たことになる。
すでに時夕刻に至り、今宵の宿をまだ決めかねていたところに、台湾の二人組の女性巡礼者にその宿坊の在り処を尋ねられ、携帯で調べ、教えついでにそこに温泉があるらしいのを知って自分もそこに泊まることにした。2月19日からお遍路を始めてこの日で8日目であった。
一回の旅で一県を巡る一国打ちを目標に計画していたので、一旦、ここで旅を打ち切って家に戻ると言う選択肢もあったのだが、この頃になると巡礼もだいぶ慣れて来ており、気力もまだ充実していたので、このまま行けるところまで行ってやろうとする先へ先への思いが強かった。
翌日、高知県との県境を一気に突破して次の札所まで行きたいところだったが、その間、実に77kmもあり、それまでの経験から1日35kmが限界と体感していたので、もう1日徳島県の宍喰町で一泊することにして、28日に高知県は室戸岬にある札所を目指すことにした。
徳島県では十二番札所・焼山寺辺りにまだ雪も少し残り、日中肌寒くもあったが、総じて好天に恵まれて、春の気配も感じられ、雨に備えて用意していたモンベルのレイン・ウエアーもほとんどこれまで必要としなかった。
が、月末28日のその日は違った。風速30mを超える春一番に見舞われ、夕刻に向かって次第に雨も激しくなって行った。
室戸岬の突端にあるのが第二十四番札所・最御崎寺であり、そこまで太平洋を左に見て、右に龍が横たわるような山並みのその間の道を行くことになる。吹き寄せる強風に何度も菅笠が飛ばされそうになり、横殴りの雨に満を持したレイン・ウエアーも雨を通して意味をなさず、途中から到底今日の内に山上にあるお寺に礼拝をすることは不可能と確信したので予約しておいた旅館まで必死に体を支えながら歩いた。夜陰が深まり、懐中電灯で先を照らしつつも、右から迫る山が何とも不気味で、指先が血豆になった足を引きずっても進まざるをえなかった。
結局、倒れるように宿に着いたのが午後8時過ぎで、宿の女将さんも心配して玄関で待ってくれていた。この日に歩いた距離が42,98km、64,547歩。この日がお遍路で経験した最大の試練の1日であったと言ってもいい。
次の日3月1日には奈半利町まで歩いてこの旅を締めくくるのが理想だったが、前日の無理が祟って股擦れになって痛くて歩けなくなった。高知東部交通・吉良川傍士のバス停辺りで泣く泣く中止を余儀なくされ、奈半利行きのバスを待った。
そして次回の旅は奈半利駅から吉良川傍士のバス停まで行って、そこから高知県の札所をまた歩き始めることになるのだが。
およそ一年前のことだが、その時のことがもう懐かしく思い出される。
今月3日にはお遍路の旅の最初の地であった徳島でライブを行う。振り出しに戻るような何か不思議な感じがする。