昨日、札幌、旭川の北海道ツアーから戻って来た。
コーヒーを淹れて自分にお土産にと空港で買った北海道名物のクッキーとバターサンドを食べながらこれを書き始めている。他には鮭とばといか足の燻製、利尻のとろろ昆布に昆布のり、そしてトラピストバターを買って来た。
普段あまり土産など買わないのだが、北海道だけはまた今度いつ来れるかわからないと言う思いがどこかにあるのだろう。実際、4年ぶりに訪れた北海道だった。沖縄に住んでいるので地理的に北海道がさらに遠く感じられるのは言うまでもないが、それよりも心理的な距離感が未だ多分に残っているせいであろう。
しかし、ライブに訪れてくれた方達に接して、僕へのその熱い想いに感激させられて、これまで歌い続けて来て本当に良かったと改めて思った。
数年おきに思い出したようにしか訪れることができなかった北海道。実際は、毎年ライブをやりたくて仕方なかったのに。そんな僕のコンサートに毎回、車椅子で友達と見に来て下さってたファンの方が亡くなったと聞き、せめてもう一度だけでも歌を聴いてもらえればよかったと無念の気持ちで一杯になった。
自分がまだ健康な内は、聴いて下さる方がいればどこに行っても歌うという気構えが必要とされるのだろう。演る方も見る方も、永遠に健康ではありえない。この歳になれば常に今しかない。僕を見たくて聴きたくてでも叶わず亡くなられたファンの方達のご冥福をお祈りしたい。応援、本当にありがとうございました。
昔ある先輩アーティストとお酒を飲んでいて、酔った勢いで、「お客さんが100人を割ったら僕はもう先輩のようには歌を唄えないと思います」みたいなことを売り言葉に買い言葉で言ったことがあった。そうならないように頑張ると言ったつもりではあったが、時代が過ぎて今思えば、ただただお恥ずかしい限りである。
お客さんの多寡ではなく、歌を唄わせてもらえるステージが用意されれば、本当のファンの方のために歌うべきなのである。
とは言え、9000人のところが7000人だったからコンサートをキャンセルした僕の尊敬する国民的大スター・ジュリーを非難してはいけない。ある時代に彼が成した功績の大きさは計り知れないものだからだ。別の言い方をすれば、今回のことは彼だけに許される事だと、その時代を知る者なら多くがそう思うだろう。
昔『寺内貫太郎一家』と言う人気テレビドラマで先頃亡くなられた樹木希林さん、当時は悠木千帆と名乗っていたと思うが、おばあちゃん役の彼女が、壁にかかったジュリーのポスターを見て、「ジュリー〜」と身悶えするシーン。あれ、あれである。ジュリーは理屈を超えた大スターだったのである。
「拝啓、僕のヒーロー様」と言う僕の歌があるが、四番の詞を作り足すとしたらそれはジュリーこと沢田研二さんしかいない。
ジュリーと僕とでは当然のように音楽の目指すところが違う。
先に言ったように、お客さんの多寡ではなく、本当に聴きたいと思って下さる方がいればそのためにその町に出向いて歌うべきである。自分の場合は。
来年はその心構えでやって行こう。
でも、お客さんが9人入ると言われて7人しか入ってなかったら、その時はキャンセルを考えるかもしれない。(7人の内訳。本人、マネージャー、ゴルフついでに来る友人夫婦、お店のマスター夫婦とその長男)
ジュリー、いつまでも元気に頑張って下さい。