昨日29日、沖縄で一日中猛威を振るった台風24号は、目覚めて今日、沖縄を通過して九州を今北上中である。こちらに移住して来て20年にもなるが、かつて経験したことのない程の大型のもので、マンションが強風で軋み揺れるのが感じられて、大げさかもしれないが、その瞬間生きた心地がしなかった。
昼現在、時折強く吹く風もあるが、台風の尻尾の尻尾みたいなもので遠ざかる猛獣に沖縄中が人心地ついているところだろう。しかし通過したとは言え、台風と言うものは危険をただ先送りしているだけのことで、現在通過中の地区をテレビ・ニュースで追っていると、心配しながらも、どこかすでに人ごとに感じていることが不思議でならない。当事者にしか強く実感できないと言うことが自然災害の持つ怖さの一つかもしれない。
折しも沖縄では知事選挙の投票日にあたり、車も恐る恐る様子を伺いながらといった感じで、こっちの道あっちの道から投票に行き帰りする車が増え始めているが、どの車も海水混じりの雨にベトベトに汚れていて、塩害による錆を嫌って、この後、洗車機を求めガソリンスタンドに並ぶことになるのは、見るものからして台風後の沖縄での風物詩の一つとして映ることだろう。
例にもれず実は自分も上記のように車を出したのではあったが、ガソリンスタンドの行列に辟易して投票を終えてそのまま家に戻って来ていた。いつも行動が鈍いことを反省して、早めに洗車に出かけたつもりであったが、すでに洗車待ちの車がガソリンスタンド内でトグロを巻いている状態で、この後一週間は洗車に行列ができることは経験で学んでいる。仕方なしにマンションの駐車スペースまで部屋からバケツに水を汲んで車体をスポンジで洗い流した。到底、バケツ一杯の水では用を足さず、二杯目を求めたが、マンション入居当時はあった駐車場の洗車スペースもいつのまにか管理組合の決定とかで使用不可になっており、公園の水道の蛇口も取り外されて無断使用されないようになっていた。結局、チョロチョロと上に噴水される水飲み場があったので、その水を10分程かけてバケツにチョロチョロ溜め、とりあえず、車体全体を真水で洗っておいた。
と、どうにもたわい無い自分の台風後始末であったが、おかげさまで被害はなく、それも台風に慣れた土地であることがその情報においても、建物の構造、町創り全てにおいて、先人たちの経験を役立てているおかげなんだろう。
四国、広島、大阪と思い出しただけでも最近、台風の被害は後を絶たない。地震を考えれば九州から北海道まで日本中、安心安全な所はどこにもない。
暗澹たる思いに沈むが、自然に罪がないことは言うまでもない。
人間の経験を活かした知恵でどう災害に立ち向かうか。
国が本気になれば人命の多くは救われていたはず。
では人命を救えなかった国とは、誰か。自分達である。反省を込めて。
今日投票日に思ったことは、これから各選挙で候補者を選ぶ一つの決め手として災害対策と真剣に取り組む公約の有無が重要な要素となって然るべきであろう。
毎回毎回、台風などの自然災害があるたびに、こんなに多くの人命が易々と奪われていいのだろうか。理屈抜きに今誰しもの共通の思いであるのではないだろうか。