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今年も無事に浅草は木馬亭の三日間の公演を終えて一息ついている。

今年も無事に浅草は木馬亭の三日間の公演を終えて一息ついている。
通常のライブとは多少趣が異なるため、それなりに苦労しているが、その分、やり終えた後の充実感もひとしおで、祭りの後の寂しさも相まって今脱力状態にある。とはいえ、2日の新潟のライブから秋に向けてライブが忙しくなりそうなので、気持ちを切り替えて、この後すぐにでも構成のイメージを高めなければいけない。

それにしても、東京の暑さが尋常でないのを体感して、これが毎年のこととなると、もうファッションも何も関係なくなるんじゃないかと危惧している。Tシャツと短パンとスリッパ、それに麦わら帽子でいるしか精神を正常に保つことができないんじゃないかと思う。実際に昔は東京で短パン姿の人を見かけるのは今と比べて断然少なかった。南国になった東京は自然に否応無く南国風のファッションが今後定着して行くのだろう。沖縄やハワイのように。お洒落を楽しむと言う意味では、幾分物足りない時代になるかもしれないと、歳と共にファッションにものぐさになっている自分の勝手な思いで語っている。

断捨離中の身なれば、洋服の整理というのがいかに頭を悩まし、お金のかかるものであるかがよくわかる。
衣装は原則的にそのツアーきりと決めていた時代もあり、一度しか袖を通していないYシャツやジャケットも多数ある。貧乏性ゆえ、それを前にして捨てるに捨てられず、そう言えばファッションは10年サイクルであるとかないとか。じゃあ次の時代までとクリーニングに出して大事にしまっていた服もよく見ればシミがいつのまにか付着しており今度は着るに着られず途方に暮れる始末だ。
それだけでなく普段着も、やれ幅広だ、やれ幅狭だ、やれ丈長だ、やれ丈短だと流行に踊らされ、長年に溜まった洋服がこっちの部屋あっちの部屋のクローゼットや箪笥に溢れかえっている。皮などの高価な服であればクリーニングにもお金がかかり、Yシャツであってもチリも積もれば山である。思い切って、最近着ていない服は処分しようと古着屋に訪ねてもみたが二束三文。捨てるには惜しいとまたハンガーに吊るされることになる。

こんな断捨離の苦労の最中にいることもあって、なるべく洋服は今後買わないことにして、いよいよ老後は南国の地でシンプルに猿股一つで暮らす生活を夢見ている。極端に言えば、ターザンみたいに。
物に溢れた時代、普通に暮らせば自然と物が増えて行くのは当然である。
物も心もどこかで整理しないと、ゴミ屋敷に暮らす人のように世捨て人と化してしまう可能性を誰もが持っている。
たとえターザンのように猿股一つで暮らそうとも、人と社会と繋がっていなければならないことは言うまでもない。逃げずに。