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先日、北九州市小倉でコンサートを行った。

先日、北九州市小倉でコンサートを行った。
小倉は、みやこ町豊津の実家から最も近い大都市で、電車等の乗り継ぎを含めて1時間余りといったところか。
途中5km先に行橋があり、ここでは盆正月の買い出しに普段着でも親に連れて行ってもらえたが、小倉となると子供は余所行きに着替えさせられ、親さえも一張羅に着替えて出かけて行った。とまぁ、小学生当時の感覚では、こんな感じだった。
大人になって車を自分で動かせるようになって大した距離ではなかったと思ったが、当時は5km隣りの行橋に行くのさえ喜び、緊張したものだ。
行橋では50歳前後(たぶん)、10年間里帰りコンサートと称して、同級生中心に力を貸していただきコンサートをやらせてもらったが、実はデビューして20年ぐらいは一度もコンサートをしていなかった。もちろん実家のあるみやこ町においてもそうであった。西側の隣町である田川にあっては普通にコンサートをしていたのにだ。
それだけ、みやこ町は当然として行橋に対しても地元意識が濃過ぎて、却って照れ臭さが先に立ってそこで歌うことなんて当時は考えられなかったという事だろう。
小倉はどうであったかというと、そう頻繁に訪れていたわけではなかったが、ある時期はツアーにも組み入れ、田川と同じように普通にコンサートをやっていたように思う。ここ10年、小倉はフォークビレッジと言うライブハウスで歌わせてもらっている。

いつも地元のコンサートには二人の姉は来てくれた。時にはその家族を連れて。
そして決まって、昨年亡くなった下の姉が妙なタイミングで舞台下から花束を手渡し、客席に一礼して戻って行くことがいつの間にか恒例化していた。何度も「もういいから」と断って来たが、弟が舞台で花束さえもらえぬ事態を不憫がってか(そんなことはないのに。いつもいっぱい頂いているのに)いくら言っても聞く耳を持たなかった。ある日上の姉が言っていた。「私達が花束を渡す前にどれだけドキドキしてるか、あんたわかる?」
わかっていた。だから身内にそんな心配をかけないコンサートがしたかっただけだ。悠然と自慢げに大ホールで聴いて欲しかった。
今年の正月、上の姉からこう宣言された。「妹の意思を引き継いで、これからも地元でコンサートをやる時は、今度は私が花束を渡すから。あんたが嫌でも」
その宣言通り、先日の小倉でのコンサートではその姉がアンコールの時花束を渡しに来た。断り続けるつもりだ。亡くなった下の姉の時と同様に。

地元の同級生の本屋の店主である西村君に、先日同窓会で帰省した際に、「これ面白いから」と一冊の本を手渡された。内館牧子さんの『終わった人』であった。映画化もされているらしい。我々、還暦世代では苦笑するしかないタイトルで、「俺のことか?」と自虐めいて冗談を言ったが、読んでなかなか身につまされるものがあった。共感できることできないことも含めて。

若ぶることにも老成することにも、興味はない。時に身を任せて行くるのみだ。ただ時として、その任せる時をズシリと重く感じる。喪失感ゆえに。
全てが老いに向かっての一方通行のような毎日で、笑って誤魔化して強く生きるしかないのか。結局のところ。