マイケル・ジャクソンが亡くなった。50歳だそうである。一つ二つ年下ということで、ほとんど同世代のアーティストであった。
ムーンウォークには目が飛び出るほど驚かされたが、やっぱり僕にとって一番印象的だったのは、1985年の『We Are The World』での彼。この曲の作詞・作曲も手がけ、ボブ・ゲルドフ、ライオネル・リッチー等と共に中心となってアフリカ貧困救済のチャリティーを成功に導いた立役者で、様々な大物アーティスト達の共演はその時代に画期的なもので、音楽の持つ影響力というものを誇らしい気持ちで聞いていた。
晩年は、と言う言葉を使うには少し早すぎる死のように思うのだが、少し奇行が目立って来たが、それでも今年、最後のヨーロッパ・ツアーを行うことを発表した記者会見では久々に元気な姿を見せてくれて、また新たなフェーズへと展開して行くものと期待していただけにこのショックは大きい。
死因は薬物の過剰摂取のようだが、今となってはそれが何であれ、エルビス・プレスリー、ジョン・レノン、日本においては尾崎豊のような稀代の天才アーティストだけに起こりうる伝説的死だと言え、アーティストの一生としては完璧な締めくくりだったのではないかと思う。
ゴッホ、モジリアーニ、太宰治、三島由紀夫、ある種狂気の芸術家にしか生み出せないこの上なく美しい作品がある。濁り水に咲く蓮の花と言ったところか。アーティストにとっては、結局は作品以外にありえない。どんなに心の闇にいようとも、その作品が輝いて美しければそれで報われるのだ。
畑と同じで常に心の土が耕されていなければいけないのだ。ひび割れ乾ききった土では、いい作品は育たない。年と共に徐々に精神も肉体も硬直化して行く中で、この境地を維持して行くのは大変なことだ。でも、生かされて作品を作っている限り、この緊張感を忘れてしまえば、もうアーティストとしては終わりである。
マイケル・ジャクソンの死の報に思いを彷徨っているが、輝くばかりの名声や巨万の富を得ていようともスーパー・スターの孤独は深く、果てしないものだったのだろう。名声にも巨万の富にも、ましてやスーパー・スターの称号も得ていない自分には、計り知れないことではあるが。ただ、愛についてならわかる。淋しかったんだなぁ。マイケル。君も。
2009年7月1日