山頭火を知っているだろうか。
「あー、ラーメン屋ね」
間違ってはいない。そっちの方がより大衆的で現実的で美味しい話題と言える。
しかし今、お遍路さんの私が言おうとしているのは俳人・種田山頭火のことで、山口県は防府の生まれと記憶している。
数年前、防府をライヴで訪れた時、宿泊していたホテルのすぐそばに山頭火の生家跡があると言うことなので辺りを散歩したことがあった。その道々いたるところで山頭火の句を読めた記憶があるのだが、少なからぬ憧れを抱く者としては、作者の出生地でその俳句を目にして想像を膨らませずにはいられなかった。
もともとは、裕福な家庭に生まれ成績も優秀だった山頭火は、お母さんの自殺と言う悲劇を目の当たりにして、心に影を宿すようになるのだが、結局は酒と女の問題でもって自らを滅ぼすようになって行く。
太宰治が好きな私としては山頭火のそんなところがまた好きなのだが。
男は誰しも多かれ少なかれ破滅思考を蔵しているもので、ラーメン屋の屋号になるくらいだから然りと頷いていただけると思う。
山頭火は熊本で出家得度してその後九州などを行乞して回りながら俳句を詠み重ねて行った。その作風は俳句の型にはまらない自由律俳句と呼ばれるもので破天荒な生き方そのもののように放埓である。
実は、山頭火も四国八十八ケ所の巡礼の旅をしていた。「四国遍路日記」なる著書もあるらしい。知らなかった。いや、以前どこかで見ていたかもしれないが、興味無く見過ごしていたんだろう。
そう言えば、訪れる寺々で時々、山頭火の言葉が石に刻まれていた。
「人生即遍路」
旅して思った。
旅をしながら言葉を詠むことは思うほどに簡単な事ではないと。花見遍路の美しさはえも言われぬほどであるにもかかわらず、凡人はその日の宿の事ばかりを気にし、足の痛みに心折れ、人生を振り返ることも、自然から何かを学び取ろうとする気力もない。ただし感動を心に焼き付けていようと思うことで精一杯だ。旅をしながらそれができた芭蕉も山頭火もその他のそんな人達はみんな素晴らしい。尊敬する。
彼らは一体どんな強靭な足を持ってたんだ。
一生懸命やっているのに己に勝てない。
「人生即遍路」とはこのことかと自虐的に思ったりする。