山田洋次監督の『学校III』をテレビで見た。大竹しのぶ扮する障害児を持つ寡婦が、ある日突然、勤めていた会社をリストラされ、ビル管理の職業訓練を受け、資格を取って再就職をめざす。めでたく資格も得て再就職を果たすのだが、折も折、乳がんに冒されていることがわかり、同じ訓練仲間に励まされながら手術に向かう場面で余韻を残して映画は終わる。
その訓練学校を基に繰り広げられる人間ドラマだが、さすがに山田洋次監督で、見終わった後に何かしら温かな希望の灯を心に灯してくれる。1998年の作品とあるが、未曾有の不景気只中にある2009年の現在にぴったりなテーマで、実際にはもっと過酷なドラマが今、世の中のここかしこで繰り広げられているのだろうと思えば、自らの生に対する姿勢が自ずと正される心地がする。
多くの人達が将来への不安から、生きる喜びを実感できずにいる。
せめて住む場所から追われることなく、せめて生きる糧としての労働の場を失うことなく暮らせるように。本当は世界中の人々がそうあることを望むべきだが、今はせめてこの国がそうあるようにしなければ、何をして文明国と呼ばわっているのか全くわからない。景気の浮揚にだけしか解決法がないというなら、我々は間違った道を歩かされているとしか思えない。
資格といえば、唯一の資格だが自分も持つ。1992年に得た一般旅行業務取扱主任者の資格だ。通信教育で学び、1年目は東大が試験場でこの時は不合格。2年目に早稲田大学で受験して合格した。
歌うことをやめようと思ったことは一度もないが、もしかしてこのままいけば将来、やめざるをえない状況もありえるかもしれないと思った時、30歳を超えて2,3年過ぎた頃で、漠然とした将来への不安から、この資格取得に動いた。この時期、本屋に行けば資格関係のコーナーに立ち、さまざまな資格があることに驚き、それまで全く実社会のことに疎かったことを少し恥じた。と同時に果たしてこの資格の中に30歳を超えて新しく自分がやれる仕事があるんだろうかとも考え、熟慮の結果、旅行業の資格を選んだ。
音楽も旅行業も非日常性を演出してお金をいただくと言う点では似通っていると言え、しばし、歌に、旅に心を癒してまた明日からの日常を生きる。そうであるなら、歌手もツアー・コンダクターもそのお手伝いをするという意味において同じだなと考え、これなら自分の個性を失うことなくやれる仕事かもしれないと思った。とは言え、実務は想像を超えて大変な仕事だと聞いてもいる。結局は歌うことしか脳がないとわかっているが、これから先の再就職。衰えつつある体力、気力ではそれをどう奮い立たせたところで、もう一度、違う職種で初めからというのは、誰にとっても酷な話である。
映画『学校III』では、主人公の女性とそれを取り巻く人々のやさしい関係に救いを求めることができるが、人との関係を上手く構築できない、確信犯的な人も含めて、繊細複雑な心を持つ人たちが多い現在の世の中で、もし主人公が、そんな心の持ち主だとすれば、映画のような不運な環境にあって、どんな救いを見つけることができるだろうか。だからこそ政治を変えて、やさしい社会システムを作ることが焦眉の急だとどうしても叫ばざるをえない。
2009年6月1日