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From 龍雲

とうとう11月がやって来た。

とうとう11月がやって来た。
毎年この時期多少なりともウキウキする気分はあったが今年はまったくそれがない。それもそのはずで、残すところ後数日で50代ともおさらばし還暦を迎えることとなるからだ。
野球で例えるなら1回〜3回が序盤、4回〜6回が中盤、7回〜9回が終盤でその人生終盤に突入といった感じ。中学時代、それに大人になってから草野球でピッチャーの経験を持つが、このレベルでは7回までしかないので9回完投の経験はないが、イニングの差こそあれ、序盤中盤を何とか凌いで、投手の名誉である完投するのに一番大事な締めの終盤。ここで気を許して、あるいはバテて打たれ逆転されればそれまでの苦労が水泡と帰す。まさか自分の人生、リリーフは頼めないので最後の力を振り絞って勝利を味わうために必死の戦いとなる。人生に延長戦はない。勝つか負けるか。引き分けならば、雨天中止ならば、と考えたところでこの例え話のあまりの無意味さに気づいたので止める。

60歳になったら何か新たな趣味を持とう。
これまで、船舶の免許、ダイビングのライセンス、旅行業取扱主任者の資格、英検2級取得、ゴルフ、フルマラソン大会出場等々の趣味をそれなりに楽しんで来た。どれもどれも中途半端ではあるがそれでいいと思っている。趣味だもの。で、また何かしらの趣味を齧ってみたいと思っているが。

「父ちゃん、碁しようか」
と先日帰郷した際に親父に声をかけた。94歳になっても痴呆も入っておらず、耳こそ少し遠いが、食欲も旺盛で元気でいてくれている。家にいる時は起きていれば部屋にこもって一人碁を打っている。最近は車の運転を控えているので町の囲碁会にも行っていないみたいなので、気の毒に思い、ほとんど碁がわかってないのだが声をかけてみた。
「おーやるか」と嬉しそうな親父を見るともっと早いうちに囲碁を習っておけばよかったと正直思った。これでも何度か親父に習いもしたし、入門書みたいなものも買ってはいたが、囲碁は単純そうに見えてなかなか深くて理解できない。将棋の方は小学生の時に覚えて、それぞれの駒の役割がはっきりしてて性格に合っているみたいだが、囲碁は丸い同じ顔した黒と白の石を置くだけ。置く場所も決まっておらずつかみどころがなくイライラする。結局今までは「碁は俺には向いてない」と何度も途中で投げ出して来た。まぁ、習得する真剣さに欠けていたと言えなくもないが。しかし今回は親孝行の思いでちゃんと最後まで父ちゃんに教えてもらおう。決して途中でキレて投げ出さないぞと決めて碁盤の前に座った。
「ここ置いたらつまらん。目を二つ作らんと」と親父に言われ、いつもなら「父ちゃん、だからその目の作り方がわからんそよ」と己の頭の悪さに加えて、実に教えるのが下手クソな親父にイライラしてキレて来た。しかし今夜こそは絶対に覚えてやると、一人で勝手にブツブツ言って俺の番の石まで勝手に置く親父に冷静に食い下がっていた。これで初めて息子の囲碁に対する真剣な眼差しを見て親父もきっと嬉しくいつも以上に丁寧に教えてくれるものと思いきや、何と、親父の言った言葉を決して忘れない。
「龍は将棋できるか。将棋をやった方がいい」
何と老いた父のために健気に親孝行をしようとしている息子を簡単にその一言で、見捨てたのだ。
茫然自失として自分の部屋に戻る親父の背中を見送りながら、俺はこう誓った。
「二度と俺の口からは碁を打つことを誘わない」と。

後数日で還暦を迎えようとしている俺は今、囲碁以外の趣味を探している。