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From 龍雲

一足早いゴールデン・ウイークと言うことで、休暇を取って今ハワイに来ている。

一足早いゴールデン・ウイークと言うことで、休暇を取って今ハワイに来ている。景気はイマイチそうだが、日本人客を含めて観光客が相変わらずたくさん押し寄せている。2年ほど前と比べれば確かに人は減っているかもしれないが、感じとしたら今がちょうどいい感じで、ホテルや飛行機の予約に困ることもなく、リゾート地として求める開放感や憩いといった点で言えば、自分一人が占める空間がゆったりと広くなったように感じられ、誠にかってながらハワイについては景気がこのまま回復しない方がいいんじゃないかと思うほど、リピーターとしては今がちょうど適正な感がある。
こちらハワイ・アメリカのテレビでは4、5日前から降って湧いたような「SWINE FLU OUTBREAK」と言う見出しで、「豚インフルエンザの蔓延」みたいな訳になるのだろうか、CNNなどでは盛んに報じられ、発生地のメキシコシティーは今、隔離状態にあることなどをセンセーショナルに伝えている。今年の始め自らも罹った香港B型のインフルエンザ、その際に処方された特効薬のリレンザや服用した子供の異常行動との因果関係が話題になったタミフルが不足しているようなことも伝えていて、アメリカ本土の地図をテレビ画面に示して、時間の経過と共の感染の広がりを、赤い点が東海岸から西へ次第に濃くなって広がって行く様を、それこそ映画で見たダスティン・ホフマン主演の『アウトブレイク』の一場面のようにグラフィカルに扇情的に報道して、日を追うにつれてその緊迫感も増しているようだ。

 

こちらに来て一週間ほどが経ち、そろそろ仕事のことが気になり始めて、いっこうに抜けない時差ぼけで、毎日中途半端な時間に夜中目が覚める。夕食を終えて、その時飲んだ酒の効果てき面で、引きずり込まれるように眠りに落ちるのだが、夜中の2時、3時といった今日なのか明日なのかはっきりしないどっちつかずの時間に目がすっきり冴え、そこからテレビを見たり、本を読んだりして夜明けを向かえ、そこでまた眠気に襲われてお昼頃まで寝て、素晴らしいハワイの朝をほとんど知らずに過ごしている。
毎日ほとんど同じパターンだが、しかし今日は違った。
目が覚めて時計を見ると2時半。隣で子供達がすやすや眠っている。ここまではいつもと同じだ。しかし、体にかいた汗が尋常ではない。夢を見ていたのだ。
小さい頃から金縛りにはよく会うが、あの縛りからやっと抜け出して息苦しさから解放されて目覚めた時のような、と言っても、金縛りほどおどろおどろしい夢ではなく、そろそろ気になりかけて来た仕事の夢の話。
現実の様々な思いが夢に時に形を変えて現れることはよくあることだが、僕の場合は仕事上、コンサートのことであったりすることがよくある。例えば、夢の中で、満場のホールのステージで弾けもしない楽器の前に座らされて突然ソロをふられたりだとか、開演ベルの音に幕が開いて、スポットライトに照らされて会場を見渡すと、お客が一人もいないとか(似たような状態はよく経験するが)。仕事上の強迫観念といったものが夢によって現れる。
今夜の場合は、やはりコンサートのことで、でも何故か初めてのシチュエーションで、コーラスの夢だった。 あまりジョイント・コンサートは積極的にはやらないほうだが、それでも二郎さんであったり、こうせつさんであったり何度かゲストに呼んでいただきフォークの仲間皆さんとジョイントすることもあった。
そんな時、出演者を何組かに分けて歌ったりすることがあり、コーラスのパートを振り分けられることがある。ずっとグループを経験せずソロで歌って来たせいか、コーラスをするのは新鮮で決して嫌いではないのだが、何せ取り組み方がいい加減で、与えられたパート部分を勝手に作曲して変えて歌ったりして、本来のハーモニーを重視したコーラスとは違い、ソロ・シンガーにありがちな自己中心的な裏メロディー的コーラスになる。というのも、ハモリのパートは時としてメロディーが退屈で、低音のパートだったりするとまるで御詠歌のように味も素っ気もなく感じられることがあり、ハーモニーを無視してついついおいしいメロディーを歌いたくなるのだ。
その日、リハーサルに遅れて参加することになり、到着した頃には前のコラボ組のアーティスト達がリハーサルを終えて帰るところだった。「おはようございます」「おつかれさま」と玄関で業界あいさつを交わしたのは、確か、やっさんこと鈴木康博さん。何故かしゃがんで靴のヒモを丁寧に結んでいた。そこからリハーサル室に向かう途中、大勢のスタッフともあいさつを交わし、遅れて来た非を詫びながらスタジオに入ると、いるわ、いるわで、例によって二郎さん、こうせつさん、坪さん、バンバンこと、ばんばひろふみさん、因幡さんもいたなぁ。みんないつものように暖かく迎えてくれた。彼らもリハーサルを終えたところで、次は到着早々に僕たちのコラボレーションのリハーサルになった。実は、段取りにあまり興味のない僕はこの瞬間まで誰と組むか把握しておらず、知らされてびっくり。あの山本潤子さんと太田裕美さんだった。潤子さんが「龍雲君のパートは英美ちゃんが代わりに歌っていてくれたから教えてもらって」と言い、英美ちゃんって誰だろうと横を見ると、なんと、白鳥英美子さんではないか。『翼を下さい』だろうと安心していたら、渡された曲は聞き馴染みのない曲で、一瞬マジやばい、と思ったが、親切丁寧に教えてくれる彼女に、わかったようなふうな真剣なそれでいていつもの曖昧な笑顔を返し、潤子さんに「OKです。」と大声で返事をした。イントロが流れてサビ頭の低音パートを聞こえるか聞こえないかすれすれのところで(これも大変な技術である)もぐもぐと低い声で二人とハモッたら全く合わず、すかさず潤子さんから「もう一度練習して」と叱られた。太田さんなどは飽きれて、姿が男になりかけていた。もう一度、白鳥さんに教えを乞うて、今度は先ほどと違ったメロディアスな美しい旋律を練習して、「これなら大丈夫です」と、潤子さんに「もう一度お願いします」と声をかけた。いつの間にか太田裕美さんは完全に三浦和人になり、その三浦君が「僕は一回休みまっから、二人でやりなはれ」とわけのわからない関西弁で余計なことを言い、そして再びイントロ、サビ。日本の歌姫、コーラスの女王、山本潤子と二人だけでハモルいうことで緊張のあまり今度はメロを忘れてしまう始末で、とうとう潤子さんもあきれ果て笑いながら冷ややかに言った一言で、溺れていて水面にやっと顔を出し呼吸ができた時のようだと例えたらいいか、体いっぱいに寝汗をグッショリかいて目が覚めた。
「龍雲君、多少違ってもいいけど、歌詞だけは間違わないでね」

 

これは全く夢の話で、仕事上のストレスからくる強迫観念のなせる業である。実際の山本潤子さんは、後輩の僕たちも頭が下がるほどいつも謙虚で、傲慢なところが少しもない素晴らしい女性だ。言うまでもないことだが、このことだけは誤解があっては失礼なので、一応、断っておく。

 

2009年5月1日