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去る3月13日、50年の疾走を終えて、ブルートレインが廃止された。

去る3月13日、50年の疾走を終えて、ブルートレインが廃止された。この九州ー東京間を走る寝台特急は、大分から出発した『富士』と熊本から出発した『はやぶさ』が門司で連結されて、東京へと向かう。
51年に、昭和の話である、高校を卒業してあこがれの東京へ旅立つ時、故郷・豊津町の単線の田川線の駅から朝早く姉と友人に見送られて、隣町の行橋で日豊線に乗り換え小倉まで出て、そこからこのブルートレインに乗って上京した。
とりあえず、当時、早稲田大学に通っていた高田馬場の兄のアパートにころげ込み、アルバイトをしながら、浪人か、音楽の道を探ろうと決めてはいたが、まだ18のひとりぼっちの上京はやはり心細く不安で、加えて、『心象風景』に書いたままの物語が、列車『富士』の車窓を流れる風景を涙で曇らせていた。
旅立つ前に友達にLPレコードやギターを売り、そのお金でちょっと背伸びをして食堂車に行き、カレーかポーク・ソテーかは思い出せないが、食べたあの食堂車の独特の匂いが懐かしい。
午後9時の早い消灯に、上段の寝台のカーテンの中で、小さな明かりを灯し、幼き心で色々と将来のことを考えていた自分が切なく愛おしく胸に迫ってくる。
最後の運行の様子をニュースで見て、僕を含めてあの頃、ブルートレインにまつわり様々な人間ドラマが繰り広げられていたことを知り、廃止と言う残念なニュースに、ここに一つまた『昭和』と言う我々にとって大きな時代が終わったことを痛感する。

 

さて、平成の話である。
あれから30数年経って、あの頃あこがれの東京もさほどに興奮するものでもなくなって、今は沖縄に隠れ棲んでいるが、いや、やっぱり東京はすごい。何がすごいかって、どこまで走っても高層ビルの森の中だった。
3月22日。東京マラソン2009。公式タイムでは約4時間31分だったが、実際は、整列した地点からスタートラインまでの時間等を考慮するなら、4時間20分あたりか。
30Kmあたりまで比較的快調で、あたりの景色を見る余裕もあった。普段、車の中からしか見ない大都会路、角を曲がっていきなり浅草・浅草寺の雷門が視界に広がった時が一番の感動だった。
昼頃から天候が乱れだし、終盤、横殴りの強い風雨にかなり体がこたえたが、沿道に待つファンの方、それに一般市民、ボランティアの方たちの声援もあり、何とか途中歩くこともなしに走りきることができた。
今回は『小児がん征圧』のボランティアに賛同してくれた約50名の方々のメッセージ入のウエアーを着てのランニングとなったが、その応援があったればこその完走でもあった。
最後の5Kmは足が痙攣しそうにもなり、踏み込む足裏が痛くてたまらなかったが、しかし、今回のテーマにした病気と戦う子供達を思えば、こんな痛みに負けたら情けないと思いつつ、取るに足らない思いではあるが、走りきって自分なりの目標は達成できたと思っている。

 

東京は、時に魅力的に、時に色あせて、僕には見える。
昭和から平成に、時代がどんなに変わろうとも、ブルートレインに乗って上京した18のあの日から今があり、上段の寝台の中でなかなか寝付けずに、不安と夢に押しつぶされそうになっていた少年を決して僕は忘れない。

 

2009年4月1日