新曲『顧みて』が発売された。
今年に入って何となく来年のデビュー40周年を意識して曲作りを始めて、5月頃までに20曲ほど作ってやっとこの曲に到達した。カップリングの『親友への手紙』ももちろんそんな中の一曲だ。仕上がりには満足している。だけど、だから良い曲でしょうとは言わない。ただ自分に与えられた才能と現時点での状況下では最良のいっぱいいっぱいの作品だと言うだけ。
歌を作り始めた動機はいくつかある。来年デビュー40周年そして60歳の大きな節目を迎えるまでにその動機に、言い換えて、永井龍雲の原点に、もう一度スポットを当てた作品が欲しかった。そしてその結果『顧みて』が生まれた。
何を持って幸福とするか。
田舎で暮らすことか、都会を夢見ることか、初恋で結ばれることか、さらなる良縁を求めることか、現実に甘んじることか。老いれば見えて来るものがある。しかしその時に反省しても失くしたものは帰らない。ただ過ぎ去りし過去を遠く切なく思い出すだけである。
これから何をテーマに歌って行くか、自分だけではなく、ベテランの域に達したアーティストなら共通の悩みだろう。その意味においては、今回思いっきり原点回帰できたことにより、今後の作品作りに今は迷いがない。ただし、原点をさらに前に求めるなら話しは別だが、今のところその発想はない。
『顧みて』『親友への手紙』
これらが売れるかどうかは単に時宜にかなっているかどうかであろう。誰も時代を読み取ることは難しい。そんな中にあって、富澤一誠さん、テイチクの高木さん、そしてキャピタルヴィレッジの荒木さん、彼らの英断なくして40周年を迎えるにあたり、最後を飾るシングルの発売はなかっただろう。感謝、感謝。おかげで、これまでの活動の全てが納得して、すとんと、心に収まった感じでいる。
『素面酒』で歌ったように、いずれにしても(死ぬまで生きにゃならぬ)から、誰もが絶えず生きがいを模索しなければいけない。どんな時代が来ようとも。
ドイツのことわざ。
<年をとってから暖まりたい者は若いうちに暖炉をつくっておかねばならぬ>
暖炉はもう無理かもしれないが、火鉢ぐらいは用意できるように。まだ58歳。これならまだ間に合う。
頑張ろうね。