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昨夜は、神経が高ぶってほとんど寝ることができなかった。

昨夜は、神経が高ぶってほとんど寝ることができなかった。
と言うのも、今、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んでいて、第六巻を読み終えた興奮が頭に残っていて、浅き眠りに夢と現の間をさまよっていた。
互いに尊王攘夷を旨とする藩でありながら、相互不信から犬猿の仲となっている長州と薩摩を、京都において、同盟を結ばせるべく土佐藩脱藩浪士である坂本竜馬が活躍する場面である。長州の代表は桂小五郎、薩摩はご存知の通り西郷隆盛である。幕府の長州征伐が迫っているにもかかわらず、それでも藩の面子ため同盟を願い出ようとしない桂、「皇家を薩摩が再興するなら、長州は滅びてもかまわない」とまで言い切る。そんな悲壮な決意を前にしてそれでも、のらりくらりとやはり藩の面子のためか同盟を口にしない西郷、とうとう見るに見かねて竜馬が西郷に迫り叫ぶ、「長州がかわいそうではないか」
おおよそのストーリーはこんな感じで、この後、西郷からの申し出で薩長同盟が成立し、一気に倒幕、そして明治維新と時代は進んで行くのである。もし、あの時、竜馬の死を賭した仲介がなければ、内乱が起こり、果ては外国に蹂躙され、この国がまったく違ったものになっていた可能性が大いにある。西郷隆盛もすごいが、坂本竜馬はとにかくすごくて、超カッコイイ。
それにしても今頃、『竜馬がゆく』を読んでいるのかと言われそうだが、昔、大河ドラマか何かで知ってはいたが、へそ曲がりの偏見で、誰もが見る時代劇なんかに興味がないみたいな、『篤姫』もそんな調子で全く見ていない。食べず嫌い同様の、誠に悪い癖である。
昨年、やはり司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでいたく感動し、ほとんどその感動ついでといったような感じで、今年に入ってこの『竜馬がゆく』を読み始めたら、おもしろいこと、おもしろいこと。
他に類をみないようなおもしろさに総毛立つ思いがする。
組織を拒否してフリーランスで生きる男の理想が竜馬にある。
組織の枠にしがみついて生きる者に大事はなせない。たとえその中にあっても、一人に返り、考え行動することの大切さを教えてくれている。
フリーランスで生きて来た者の一人として、命をはなから捨てて大事に望もうとする竜馬の姿勢は、感動以上のものを与えてくれる。
時代とは、男とは、ロマンとは。
「信じる正義を貫き、自分のやりかたで、夢を実現する」このことはずっと僕自身が考えて来たことでもあるが、竜馬がその遥かに大きなスケールで考えて実行したことでもあった。
『坂龍飛騰』という言葉が本の中にあった。坂本竜馬という龍が、時代の雲をとらえて、今、高く飛び立つ。みたいな。
『永龍飛騰』永井龍雲という龍が、時代の雲をとらえて、今、高く飛び立つ。
雲は既に流れ去って行ったかもしれない。いや、自分に賭けるロマンがある限り、どんなちぎれ雲さえ掴んでやり飛騰の時を待ちたい。
本の中で竜馬はこんなようなことを言っている「たとえ死ぬにしても男なら目標の方向を向いて倒れて死ねと」
頼るべきものもなく生きて行かなければならないとしたなら、男にとっては、せめてこういった自分自身の気概にだけしか、それこそ頼ることができないのだろう。

 

2009年2月1日