ここのところ沖縄は夏らしい天気が連日続いている。毎日が快晴と言うことではないが、湿気を多く含んだ、でも自分的には心地よい風が吹いて、夕方になれば特に、この島に住んでいられることの幸せに感謝したくなる。移住して来て今年で16年目に入り、後2、3年もすれば、故郷で育った時間よりも沖縄に住む時間の方が長くなる。その実感はないが、沖縄の事について語れる資格はもういただけるのではないかと思う。沖縄の問題をテレビ等で積極的に取り上げていたあの筑紫哲也さんでさえも朝日新聞の特派員として沖縄に住んだ時間は自分よりも短いのだから。
とは言え、沖縄の問題について特段の見識を備えている訳では全くなく、ゆえにあくまでも尊重した上で沖縄の事は沖縄の人に決めていただいて、そこに住まわせていただいているというのが偽らざる自分の立場である。そこに生活して見えるものがあると同時に、生活して見失うものもあり、これはこうだと断言する事が難しくなる。ただ、沖縄の現住民の一人として率直に思うのは、国の安全保障上の問題は別に置くとして、家からそう遠くない市街にありその危険性が危惧される普天間飛行場だが、だからと言ってそれに代わる基地をわざわざ辺野古の美しい海を埋め立てて作らなくてもそれぐらいの敷地なら現存する米軍基地内にいくらでもあるだろうという事。本土並みに基地を減らして欲しいと願っている沖縄県民に対して、新たに代替の基地を建設すると言うのは、どうも米国の積極的な要求でもないような気がする。何か軽々しい日本側のリップ・サービスの結果じゃないかと疑いたくなる。いずれにせよ、そうした沖縄県民の強く抱く疑念を払ってあげない限りには基地問題は解決しないだろう。最近、自民党の若手議員と売れっ子作家が言論の自由を逆手にとって無神経極まりない事を発言して問題になっているが、言語道断。彼等には旅行にさえ沖縄に来る資格がない。何故なら、旅行と言うものはその土地の歴史に敬意を抱かなければ訪う意味がないと信じるから。
今日、メールボックスの中に一枚のチラシが入っていた。どう書かれていたかと言うと、家から歩いて5分の高校正門付近で米国製の125kg爆弾の不発弾1発が見つかり、よって処理作業のため半径249メートル以内の区間がいついつに交通規制されるとの事。戦後70年経っても戦争の痕跡がまだまだ沖縄ではリアルに残っている。今が戦後何年と言う言い方を、戦前何年と言う言い方に変えないためにも基地の必要性を日本政府と米国とで明確に的確に話し合って、沖縄県民の納得の行くようにしてもらいたい。延いては日本国民に。
沖縄に住まわせてもらってる身で文句はあまり言いたくはないが、不発弾処理のその日には高校の横を過ぎるジョギング・コースを多少変更しなければならない。そう考えるだけでも、意志薄弱なへなちょこジョガーには大変なストレスである。いや、待てよ。処理完了が正午ごろとチラシにある。走るとしても夕方だから問題ないか。それよりまだ午前中のそんな時間俺の事だからきっと寝てるだろうな。不発弾処理の最中にもかかわらず。能く能く考えたら怖い話である。
2015年7月