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2015年、旅の始まりは新潟からと言うことで

 

2015年、旅の始まりは新潟からと言うことで、コンサートの前日に東京入りし、もうかれこれ35年ほど毎年初詣でに参拝している川崎大師で今年58歳の安全を祈願し、気持ちも新たに翌日、新潟に乗り込んだ。その日は日本海側はかなりの荒天で新幹線で長岡、燕三条を過ぎるあたりは大雪に見舞われていた。新潟市内はというと降雪のほどはそれほどでもなかったが、それでも毎年市内に何度か積雪する内の一度ということであったらしい。
久しぶりの新潟におけるホールでのコンサートということもあってモチベーションも高く、前々からこの地方をテーマに作りたいと思っていた新曲も用意して、その甲斐あってか、今年一年のスタートを切るに相応しい和やかなコンサートになった。デビュー時以来久しぶりに歌を聴きに来てくれた方も多くいて、終演後アンケートに目を通して、ファン復帰宣言をその多くの人が唱えてくれていたのがとても嬉しかった。雪降る中会場から直接車で打ち上げに居酒屋に向かったが、そこに着いて「この道を数百メートル行ったところが横田めぐみさんが拉致されたところですよ」と現地のイベンター社長が教えてくれたのが、衝撃として今も残っている。夜でよくわからなかったが海も近いらしく、どこでもある住宅街に思えるそこでの拉致事件に、今更ながら、酷いことをするものだと憤りを実感を持って新たにした。早く無事に奪還できることを祈るばかりだ。

 

翌日東京に戻って、それからこれもここ10年ぐらい恒例の海外視察の旅にアメリカに向かった。ラスベガスの町の今年の景気動向並びに賭博事情さらにはショウー・ビジネスの裏側をつぶさにこの目で確かめるのがこの視察の主な目的なのだが、かいつまんで報告すれば、印象として米国内の景気は雇用が改善され多少良くなっているように思えた。反対にバブル期国際会議などであれほどいた日本人が、初めてラスベガスに訪れた20年前からして今年最も少なく感ぜられ日本の景気の悪さを如実に物語っていた。主たる観光客はというとやはり中国人で、2、3年前に比べると少し減ったとはいえ、依然、カジノを覗けばその金満ぶりが伺える。賭博事情はというと個人的にはスロットあたりは厳しさを増して来たように思えるし、ブラックジャックなどは好不況がめまぐるしく、女性のディーラーには要注意で、特に胸元を大きく開いている若いディーラーにニヤニヤしていると、あっと言う間にドルに羽根が生えて飛んで行き、哀れ倒産の憂き目に追い込まれるはめになる。視察のさらに一つの目的であるショウー・ビジネスの裏側を見ることであるが、シルクドソレイユ関係のショウーは固定化・マンネリ化し今年は見る気せず、サンタナ、それにエルトン・ジョンのコンサートも一度見ており、チケットが高いこともあって敬遠。一つだけ見たのは、オーストラリアン・ビージーズのショウー。文字通りオーストラリア人のビージーズのコピーバンドだが、声から姿形まで良く真似ていて、『サタデー・ナイト・フィーバー』など合唱し、安いチケット代にしては大いに楽しませてくれた。アンコール後すぐにオーストラリアン・ビージーズが会場入り口に出てきてCD・グッズ販売となるのだが、ほとんど買う人もなく、ショウー・ビジネスの裏側は彼我問わずかなり切迫したものを感じた。一応、ご報告まで。

 

昨年の秋から長女がロサンゼルスの大学に通い始めていて、ラスベガスから戻って娘の大学の寮を訪ねた。キャンパスはこじんまりとして落ち着きのある綺麗な佇まいで、その中にある寮で三人一部屋で暮らしているらしい。彼女のテリトリーにはワン・ダイレクションのポスターが壁に貼ってあったりして、思いのほか綺麗に片ずけられていた。ドーミトリー(寮)とはいえ娘の初めての一人暮らしに親としては心配ではるばる太平洋を越えて来てみたが、なんとか楽しくやってるみたいで安心し、来年、長女と同じ大学に通うことになるかもしれない次女も連れて来ていたので3人でハリウッドなどを見学して帰って来た。
娘達が大学を卒業するまで後4年は最低でもロサンゼルスに一年に一度は通うことになろうと思うが、太平洋を越え遠いとはいえ成田から約9時間かければ娘に会える。約1時間足らずのそんな近場にいることがわかっていても娘と会えない横田さん御夫妻の気持ちに立てば、断腸の思いに見舞われる。

 

2015年2月