名優・高倉健さんが11月10日に亡くなられた。約1年前の11月3日に文化勲章を受章されて、奇しくも同じく同章を受章されていた森繁久彌さん、森光子さんも11月10日のこの日に他界されたらしい。やはり『11』であり、こじつけだと軽く断定できない何か不思議な数字である。
ウィキペディアによると、健さんは本名・小田剛一。福岡県中間市出身。1931年2月16日生まれで血液型はB型となっている。ファンの心理としては自分と共通のものを探したくなるもので、星座が違うのであれば血液型ぐらいは同じであることを期待したがそれも違っていた。でも、同じ福岡県出身ということだけで実は十分満足なのである。
中学生になって特に少し悪ぶり始めた頃に任侠映画にはまり、1個10円のコロッケ10個をてんぷらやで買い、映画館に入ってからコーラを買って、健さん主演の三本立てのやくざ映画を朝から夕方遅くまで見ていた。義理と人情の板挟みで、こらえにこらえていた健さん扮する主人公、それを見る自分の手も怒りにプルプル震えている。
「何故だ健さん。もうこらえることはない。早くきゃつらを懲らしめておくれ」
ついに堪忍袋の尾が切れた健さん、どすを懐にある時は刀を片手に単身で敵のアジトに乗り込んで行こうとするその時、背にすがりつく義理ある人の御嬢さん。
「行かないで、殺されてしまうわ」
「止めないでおくんなさい。渡世の義理でござんす」
右約5度に頭を傾け、奥二重の目もきりりと、道に倒れ泣く御嬢さんを振り返ることなく一人静かに歩き出す。そこで流れる低音で実に実に渋い健さんの歌。ちょうどその歌が終わった時にぴたりと修羅場に着く。
「お命頂戴いたします」「ブス」「ズブ」「ドバ」「バタ」
「そうだ、みんなやっちまえ。健さんもう、かっこいい」
壮絶な出入りを終えて片肌脱ぎの胸の刺青は返り血に染まり、血走る健さんの眼が大写しにされた時、赤々とした『終』の文字が浮かび上がって来て、お終い。
今この行を書きながらも汗が背中を伝わり落ちて来て、上着を一枚脱いだところである。いや本当にあの頃、映画を観終わって映画館を出た時、完璧に高倉健になりきっていたことを思い出す。後にも先にもこんな思いをした映画はなかったように思える。
後年、任侠映画の東映を飛び出してからは、『幸福の黄色いハンカチ』『鉄道員』遺作の『あなたへ』に至るまでやくざ以外の新たな役を演じる健さんの新境地を見せていただくことになるのだが、それはそれとして、いや、それらの作品全てが素晴らしいことに文句のつけようはないのだが、ただ一点さびしい思いがあったのも事実だ。それは同じ福岡県出身者としては、あまりに北海道が舞台の作品が多くて、もう少しあの健さんのニヒルなキャラクターで地元北九州あたりを舞台に同じように良い作品を残してくれていたらという思いがあり、いささか北海道に対して健さんを奪われたような恋愛にも似た嫉妬に近い気持ちが地元ファンにはある。
それほどまでに高倉健という人は、日本の男のと言う前に、福岡県の男の原型であり理想型であり大いなる誇りでもあった尊い方だったのだ。是非一度はその謦咳に接したかった。
健さん、夢をありがとう。本当にご苦労様でした。心よりご冥福をお祈りいたします。
2014年12月