『暖簾』が五木ひろしさんに歌っていただいて世に出たのが平成元年(1989年)。すっかり忘れていたが、この年から竹下登政権のもと消費税3%が導入された。と言うことは、これより早くに『暖簾』がヒットしていたら、もう少し印税の実入りが良かったことになる。せこいけど、残念。だって、それまでそんな税金は徴収されて来なかったわけだから。
その後、ほとんど記憶にないが、平成9年(1997年)に橋本龍太郎政権時に消費税が5%に上がって、そして今年、平成26年(2014年)4月1日の今日から消費税が8%になったと言うわけだ。
消費税に賛否両論あることはわかる。財源を広く浅く公平に求めようとするなら誰も文句はないだろう。だけど実体はどうか。低所得者にさらなる負担を強いるだけで、福祉も年金も制度がガタガタ。その反対に、是正されない官僚の天下り、無駄な公共事業、性懲りも無い原発推進などの国費の無駄使いで、公平に税金が使われているとはとても思えない。今回、福祉を目的に消費税アップ分は使われると言うが、本当にそうして使われるのなら少しは溜飲が下がるというものだ。でも、どうか。
年が明けて、特に3月からは連日、ニュースやコマーシャル等で消費税が上がる前の購買を煽られて、駆け込み需要と言うやつに庶民は滑稽なほど踊らされていた感がある。そこで思い出されるのが、1973年の秋から翌74年の春までに起こったオイルショックによるトイレットペーパーや洗剤等の買占め騒動。我々世代には鮮明な記憶として残っており、小さな九州の田舎町にさえ少なからぬ影響があったことを記憶している。テレビでわれ先にトイレットペーパーに群がる人々を見て、当時高校一年生だった自分には、とても浅ましい光景として心に焼き付いた。(もともと人間とは欲深き者。そうであるからこそ、為政者は悪政によってそれをむき出しにさせてはならない。人々の善意を引き出す政治でなければ)
今回はさすがにオイルショックのようなことはなかったが、最寄りのスーパーに行くと閉店時間ギリギリまで、カートを満載にした買い物客が多くいて、それでもまだ何かを買い足りないのか、店内を血眼で右往左往していた。
旅に出ていなければ、スーパーで約一週間分の食料やその他不足の日用品を補充して部屋にこもる。普段多くても買い出しに5000円を超えることはまずない。自分のエコ袋2枚あれば十分。独り身は気楽なものである。無くなればまた買いに出ればいいんだから。
でも、昨夜は違った。2段のカートにビールケース等が満載で、一体、一人で持って帰れる量かこれは。レジで精算してカメレオンの舌のように長くなったレシートを見れば、その額1万円をはるかに超え、罰当たりにも、もうすぐ2万円に及ばんとしていた。なんのことはない、さっき店内を血眼で右往左往していたのは他ならぬ鏡に映った自分の姿であった。
知らぬ間に自分も消費税8%前の駆け込み需要に、見事に踊らされていた庶民の一人であったことに気づき、己のこうも浅ましき欲深さを知るに至り、愕然とした。
改めて為政者に問う。
こんなにビールを一度に買わせてどうする。できればやめようと思っていたのに。
人の悪を引き出す政策では決して駄目だ。人の善を引き出させてこそ、善政である。
2014年4月