28日の今日を含めて2月まるまる一日沖縄にいたのはたったの二日。後はウィークリー・マンションとホテルの旅暮らし。久しぶりの我が家に寛いでほっとしている。
毎年この時期恒例の海外の旅と東京でのレコーディングが重なって、少しタイトなスケジュールになったが、思いがけないアクシデントで多少の変更はあったとはいえ、おおむね順調に予定をこなすことができた。
海外からの帰りの機内で向かい合わせに座ったJALのフライト・アテンダント、つまりスチュワーデスさんのことだが、に話しかけられ、最初は、2月の機内のオーディオで『道標ない旅』が流れている話かと思ったら、「先日の大雪の時、お客様は日本にいましたか? 私は世田谷から成田に行くまで8時間ぐらいかかりまして、結局、空港に辿り着けずに家に帰ったんですよ」それに答えて、「丁度僕はその時海外にいたんですよ」と言うと、美人アテンダントが、「その時東京にいなかったそれだけでもお客様は今年は運が付いていますよ」とちょっとした上から目線で言われた。しかしいつものお調子者の癖が出て、「そうなんですよね、何故か僕は天候には恵まれていて、天候不順で予定がキャンセルするなんてことはほとんどないんですよ。宝くじでも買っちゃおうかな、ハ、ハ、ハ、なんてね」と美人アテンダントに乗せられて軽薄そのものといった体たらくで、でも満更でもなかった。
それが、罰が当たった。
東京に戻って来てレコーディング再開の3日目、二度目の記録的な関東地方の大雪に思いっきりはまってしまったのだ。その日は阿佐ヶ谷のウィークリー・マンションに宿泊していて、吉祥寺のスタジオまで通っていたのだが、レコーディングが夜8時ぐらいに終了した頃にはあれよあれよといった感じでの雪景色で、スタジオから吉祥寺の駅までの道がまるで北海道にでもいるような東京とは到底思えない雪国のそれだった。とりあえず、レコーディングも一区切りついて、打ち上げの感じで、アレンジャー、エンジニアと駅前の居酒屋で酒を飲んで、11時過ぎに店を出たところ、雪は弱まるどころか吹雪に見舞われており、電車もバスも止まって、タクシースタンドには長蛇の列ができていた。
普段なら慣れない大雪でしかも吉祥寺というほぼ馴染みのない土地でパニックに陥ってもおかしくないところ、幸いにも前日、阿佐ヶ谷から荻窪、Uターンして高円寺とジョギングをしたばかりで、重度の方向音痴にもかかわらず、多少の土地勘ができており、いつ来るとも知れないタクシーを待つぐらいなら3駅ぐらい歩いて帰ろうと決めた。
ホテルから借りて持って来たビニール傘を差して、吹雪の中、ガード下を靴も濡れ靴下に染み込み始めていたが、雪が珍しい南出身の者には、映画『雨に唄えば』のシーンの如くに楽しくもあり、明日の朝絶対に長靴を買おうと思いながら、鼻歌唄いつつ歩いていた。40,50分歩いてあまりの降雪に少し不安になりかけた頃、頭上から「三鷹から電車が参ります」とアナウンスが聞こえ、丁度そこが、西荻窪の駅であることが分かり、急いでホームに行きそこから二駅は運良く電車で帰ることができた。
翌朝は雪も止んで日差しもあったが、道は夜来の雪が積もって溶け出しており、さっそく阿佐ヶ谷駅前の西友に長靴を買いに行った。ところが売り場の棚には2、3足の長靴が横に倒れているだけで、僕の他にもその時に売り場に急ぐサラリーマンがいて、負けてはならじと良さげな長靴をキープしたところ、「男物の長靴は完売しました」と店員がサラリーマンに告げており、キープした長靴を改めてよく見るとLLサイズの女物だった。ダメ元で履いてみると、幅は少しきつい感じがしたが、サイズに問題はなく、店員が「女物ですけど本当にいいんですか?」と訝るのも気にせず、その場で履き替えて店を出た。
長靴を履いて歩くのは本当に久しぶりで、気取った靴を気にして歩くより楽で楽しく、世の中は大雪の混乱の最中にあって申し訳ない気がしながらも、あえて、ぬかるんだ道を選んで歩いたりした。そしてその日のレコーディングは当然の如く、スタジオで初めての長靴を履いての歌入れとなった。
長靴を履くのはいつ以来だろうと考えたら、思ったよりそんな昔でないことに気づいた。震災後、大船渡を訪問した時、軍手やら長靴やらを準備して出かけたことを思い出した。あれから今月でそろそろ3年。
長靴履いて初めてレコーディングした曲が気になる?
この続きはライブで。
2014年3月