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新年、明けましておめでとうございます。

 

新年、明けましておめでとうございます。

 

2020年に東京オリンピック、パラリンピックの開催が昨年決定したこともあり、テレビでは昨年の暮れから大晦日にかけて、1964年に開催された東京オリンピックを扱った番組が多く見受けられた。1964年は今年から遡ること丁度50年前、昭和で言うと39年と言うことで、僕が7歳の頃にあたる。当然、あまりはっきりした記憶はなかったが、当時の映像が番組で放映されるのを久しぶりに見て、再び蘇る記憶も少なからずあった。マラソンではエチオピア代表裸足のアベベ、日本代表の円谷幸吉、体操の遠藤幸雄、チェコスロバキアのチャスラフスカ、重量挙げの三宅義信、東洋の魔女と言われ鬼の大松監督率いる日本女子バレーなどなど。当時の子供達には特に人気が高かった選手達で、みんなで競ってそれを話題にし、それぞれに好きな選手のものまねをし遊んでいた。ちなみに僕の得意のものまねは重量挙げの三宅義信だった。
その後の市川崑監督の映画『東京オリンピック』も友達と見に行き、カラーの大画面で見るその迫力に大いに興奮し、特にその一場面に一瞬、巨人軍の長嶋と王が観覧席に映っていると聞き、さらには長嶋の目線の先には後で結婚することになる亜希子夫人がメダルを運ぶコンパニオンとして出ている情報を得て、当時の熱狂的なジャイアンツ長嶋ファンの僕はそれを見逃すまいと必死だったことを覚えている。昨年暮れにはその映画も放送されていて、久しぶりにそんな時代もあったなと懐かしく子供時代を思い出し最後まで映画を見終えた。

 

もちろん映画にもその姿はあったし、NHKの東京オリンピックの特番の中でも、当時の良きライバルであり東京オリンピックもともに出場し、次のメキシコ大会では銀メダルを獲得した君原健二さんがゲストとして出演され語られていたが、東京オリンピックと言えばやっぱり円谷幸吉さんのあの勇姿が今見ても心を熱くさせられる。競技場に入って来て最後にイギリスのヒートリーに抜かれて惜しくも銅メダルとなったが、当時、国民的大ヒーローであったにもかかわらず、次のメキシコ大会前に自殺されたことが、未だにその人間ドラマを思って悲しく切なく心に迫って来る。福島県は須賀川の円谷幸吉記念館に行って、オリンピックの時に履いたシューズとかユニフォームなどの展示物を当時のテレビもしくはラジオの実況とともに拝見して、記念館を出る時、入口に小さく座っておられた方が円谷幸吉さんのお兄さんであることを聞かされて何とも言えない感動に打たれた。自分も今市民ランナーの端くれとして、宮崎の青島太平洋マラソンでご一緒した君原健二さんとともに、円谷幸吉さんには敬意を表せずにはいられない。

 

6年後の再びの東京オリンピックがどのように開催され、自分自身が何処でどんな思いで見ているか今は想像もできないが、いずれにせよ、国も、個人にとっても慌ただしい6年になることは間違いない。6年後その時は63歳か。あの時の少年もすっかり年老いたな。

 

ちなみに大晦日の紅白を50年めの今年で卒業宣言をした北島三郎さんことサブちゃんの紅白初出場が東京オリンピックの前年だったと言うから、本当にサブちゃんは大したものだ。

 

2014年1月