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拝啓 太宰治様

拝啓
太宰治様

 

本来なら、多大なる影響を与えていただいた者としては、太宰先生とお呼びしなければいけないところですが、人生の同じ旅人の一人として、失礼は百も承知で、いつものように呼びかけさせて頂きます。

 

太宰、それにしてもあなたは、とんでもない人でしたね。
何度も何度も自殺未遂を繰り返し、その度にあなたに優しい人までをも苦しめて。
そして結果的には二人の若き女性を死に追いやった。常識的にみれば、あなたのしたことは許されるわけがありません。僕も今、娘を二人持つ親として言うなら、娘たちに最も近寄らせたくない男の一人にあなたは違いありません。
あなただって娘さんを三人もお持ちになって、もしあなたももっと長生きしていたならきっと僕と同じように思う筈です。だってあなたは人一倍愛情の機微に長けた人だったのですから。

 

でも実際は、あなたは39歳で自分で命を絶ち長生きなさらなかった。そして二人の女性も進んであなたとの死を選んだ。
そう、今ならわかるんです。すべてがあなたの宿命に他ならなかったことを。宿命であるが故にその死を避けることができなかったことを。
人間であるなら誰もが同じように持つ、いくつかある性質の中の一部が、他の人に比べてあなたは際立っていただけなのでしょう。安易に天才という言葉を使いたくありませんが、やっぱりあなたは、破滅型の天才だったのです。そして僕はその信者の一人です。

 

太宰、結局はあなたも僕と同じマザコンでしたね。
恵まれた大家族に育ち、生みの母親の愛に薄く育ち、子守のタケさんを本当の母のように慕ったあなたのその心情はよくわかる気がします。
そしてその後の女性遍歴。特に最初の結婚の失敗。身分の差という考え方を嫌い、精一杯の善意の結婚のつもりが、彼女にあなた自身を理解してもらえず、もし、あ、失礼。宿命とさっき自分で言っておきながら、もし、は言ってはいけないのですが、でも一度だけ。もし最初から理解し合える人との出会いだったのなら、本来、ユーモラスでサービス精神旺盛なあなたの性格でしたら、こんなではなかっただろうと思うのです。どうです?太宰そうではなかったですか?

 

あなたの作品に関する評価は、はっきり言ってしたくありません。あえて僕が言うに及ばず、世代を超えて未だに支持されていることだけでも、ジャンルこそ違え、同じ表現者としては嫉妬この上ないことです。太宰ならわかりますよね。あなただって川端康成や志賀直哉に痛烈に表現者同士としての戦いを挑んでましたものね。それにしても彼等に対するあなたの批判は痛快でした。太宰、断然僕はあなたの見方でしたよ。

 

だって僕は今でもあなたの信者ですからね。
信者といえば、あなたはとても聖書に興味をお持ちだったみたいで、あなたも言われていますね、世界中で日本人ほどキリスト教を正しく理解できる人種は少ないだろうと。その上で思うのですが、
太宰、あなたはイエス=キリストになろうとしたのですね。
人々の罪の身代わりにイエス=キリストが磔についたように、あなたは我々心弱き者のために破滅の教訓を示すため身代わりとなって、自らの安穏を少しも願うことなく、その完成の死へと真っ直ぐに突き進んで行った。
哀しみの救世主。あなたの願いは達せられた思います。あなたに救われた多くの信者がいます。僕を始め多くの。

 

太宰、最後に一言。あなたが自分の宿命と戦って来たように、僕も自分の宿命と未だに戦っています。あなたには見えているでしょう? 僕なりにこれからもあなたに恥じることなく仕事に誠意を失わず、自分に正直に生きて行くつもりです。
今日、あなたの生家である斜陽館で歌わせてもらえたことは、これまでの僕の生き方に対する、あなたがくれたご褒美だと思っています。
ありがとう。太宰。いや、太宰治先生。本当にありがとうございます

 

敬具

永井龍雲

2013年7月1日