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東京は草月ホールでのコンサートの前日

東京は草月ホールでのコンサートの前日、赤坂見附で打ち合わせを終えて、折しも東京の桜は今日が満開という時で、食事をすましホテルでこのまま寝るのももったいないような気がして、一人夜桜見物に出かけることにした。
確か赤坂見附周辺にも桜の名所があったはずだとその時記憶が蘇り、それを頼りに駅の方から国道246号に向かって歩き出した。首都高速の下をくぐり、四谷に抜ける方に橋が架かっていて、そのわずかな堀沿いにやはり記憶していた通りに桜が咲いていた。20代の昔にここを二人で歩いたことがある。桜の名所であることはその時教えてもらった。その人に。
弁慶橋という名のその橋を渡りきったところに由来等を書いてある札があり、どこからか移築されたようなことが書いていて、義経・弁慶のそれとは関係ないみたいだった。堀の名を弁慶堀といい(今思い出したが記憶に間違いなければ、昔雑誌の取材でこの堀で貸しボートに乗ったはずだ)、堀沿いに咲く桜の裏側、ちょうど今赤坂プリンスが次第に縮んで行くような例のテコレップシステムという新しい工法で解体されているあたりは、紀州徳川家の屋敷跡であったそうな。紀州徳川家、尾張徳川家、そして安政の大獄の井伊直弼の井伊家、それぞれの頭文字をとってその辺りの地名が紀尾井町となったことも初めて知った。
夜も10時前後で、思ったよりも人通りは少なかったが、それでも会社帰りのほろ酔いのサラリーマンたちが時折、夜桜を背景に仲間同士で写真を撮って行き過ぎた。桜を照らす街灯の色のせいか、真下で見上げる桜があの淡いピンク色ではなくその絢爛な美しさを欠いているようにも思えたが、それでも一人物思いにふけるには十分な美しさだった。
人がこの花に惹かれて止まないのは、えも言えぬ花色をどうしても人の血の染まった色に思うからだろう。土に葬られた多くの悲しみを吸ってこの花は毎年一瞬に咲いて散る。人生の儚さの象徴のような花だ。僕には花見の酒も人は喜びに狂って飲むのではなくて、人は悲しみに狂って飲んでいるようにしか思えない。聞けばあの大久保利通もこの辺りで襲われ暗殺されたらしい。そんな歴史的な場所に立って桜を眺めたからこんな風に思うのか、それとも遠い昔まだ若かりし頃、この辺りを一緒に歩いた人を思い出してそう思うのかはわからないが、とにかく、人を常ならざる心にさせる、ただならぬ花である。桜は。
結局30分ほどの夜桜見物を終えてホテルに向かって歩き出した。早く帰らないと。明日のコンサートのために。信号待ちをしていてそう思った瞬間、くしゃみが大きく一つでた。

 

2013年4月1日