新年あけましておめでとうございます。
皆様にとりましてこの一年が素晴らしいものでありますように。
ご存知、山田洋次監督、渥美清さん主演の「男はつらいよ」。1970年に公開されたそのシリーズ第4作「フーテンの寅」のラストシーンで、とらやのおじちゃんおばちゃん、ひろしさんやさくらさんたちが1969年の大晦日に年越し蕎麦を食べているシーンがあった。そこに霧島神宮あたりの初詣でたんか売している寅さんがテレビに映し出され、とらや一同呆気にとられるといったものだが、それを見ていてちょっとした疑問を発見した。それはとらやのみなさんが年を跨いで年越し蕎麦を食べていたことだ。年越し蕎麦は年を越す前に食べ終えるものだと信じ、何度も焦って用意し食べたこともあったように思うが、映画を見て、なんだ年を越す際に食べるのが年越し蕎麦だったんだ、そういうことかといったん納得しかけたが、これを書くにあたり本当のところはどうなんだろうとネットで調べてみたら、やっぱり年を越す前に、つまり除夜の鐘が鳴り出す12時前に食べ終えなければ縁起が悪いとあった。でも東京葛飾柴又あたりではそうなんじゃないかと思ってもみたが、何のことはない、大晦日の書き入れ時でお蕎麦を食べるのが遅くなっただけで、そういった商人の姿を描いていたにすぎない。そう思えばそのシーンは仕事にひと段落つけてやっと年越し蕎麦にありつけたといった様子で、お蕎麦もザルに盛っただけの質素なもので、温かいお汁のお蕎麦ではなかった。今でも場所によっても、または普通の家庭と商売をやってる人とでは自ずと年越し蕎麦を食す時間帯また食べ方などが違っているのが当たり前なのだろう。
奄美大島で初めて名物の鶏飯(けいはん)を食べた時に思った。子供の頃に食べた我が家の雑煮の出汁の味はこの味だったんだと。それまでに奄美と交流のなかった子供にはそんなことはわからなかった。お正月に食べる雑煮の味が場所によってもまた家庭によっても違うものだとわかったのは、20歳を過ぎてからだった。正月、当時付き合っていた女性の実家に呼ばれ、そこで頂いた雑煮の違いに驚くと同時に、おふくろの雑煮が一番だなという感想が起こったのを思い出す。誰だって自分家の味が一番なのだろうが、男だから特にそう思うのだろうか。家で突いた餅を雑煮に入れて、あまり餅は好まなかったけれど、蒲鉾や白菜、鶏肉などの入ったその汁は本当に美味で、餅抜きで何杯もおかわりしたことを思い出す。おふくろの味、それは僕にとっては雑煮の出汁の味。奄美にそれがあった。
昨年の11月、ふるさと観光大使の委嘱式、「ルリカケス」の歌碑の除幕式、それに離島を含めすべてのライブを無事に終えて、八日目の滞在最後の日に、もう一度母の故郷をこっそり見てから帰ろうと、マネジャーと従兄弟に付き合ってもらい瀬戸内町の久慈まで足を伸ばした。委嘱式、除幕式の当日は一日中大雨が降り続き、晴れ男の僕には信じられないことだったが、この日は朝から良い天気で、「ルリカケス」に歌ったままの入江が久しぶりに見られると思い、三人胸をときめかせて名瀬を発った。しかしやっぱりここのところの奄美の気候変動の激しさかどうか、途中雨に見舞われ喜びも半減するところとなった。30分ぐらい降っただろうか、久慈集落に着く頃にはその雨も上がり、一人後部座席で今度いつまた来れるかと感傷に耽っていたら、気が付けばいつの間にか歌碑の前に車が止まっていた。「着いたね」と運転手の従兄弟と助手席のマネジャーに後ろから声を掛けるや否や、突然聞き馴染んだ「ルリカケス」のイントロが前触れもなく流れ出した。最初は前座席の二人が計ったように意図的にCDか何かで僕の感動を煽るために流したものだと思ったが、違った。前に座る二人のほうがこのあり得ない偶然に興奮しているようだった。やらせだと思ったそれは、集落に入る直前で従兄弟が何気なしにチャンネルを切り替えたラジオ番組からまさしくジャストタイミングで流れて来たものだった。それもフルコーラス。
その時に僕は確信した。母は喜んでくれているのだと。「ルリカケス」の歌碑の除幕式当日の降り止まぬ大雨は、やっと久慈の故郷に、魂の帰る場所を得られた母の喜びによる、止めどない涙雨だったんだと。
母を思う時、不思議なことがよく起こる。祈り続けていれば、その魂はその時々で手段を変えて僕に応えてくれてるんだね。僕に備わっている第六感を信じて、今後も良い歌を作り唄うために、昨年までとはまた違う新鮮な想いを発見し、新たなる気持ちで旅を今年からふたたび始めるしかない。そう、旅、ふたたび。
ちなみに、前述の「男はつらいよ」シリーズ第四作「フーテンの寅」では山田洋次監督は珍しくメガホンをとっていない。全48作品の内わずか3作品だけなのだが他の監督の手による。あとの作品はすべて山田洋次監督によるものだが、監督は「男はつらいよ」ご自身の作品の舞台に奄美大島を2度ばかし選んでロケしているが、シリーズ最終作「寅次郎・紅の花」がそうであったのが深く印象に残っている。島にそのエピソードも多いと聞く。 そういえば確か、山田洋次監督も奄美大島の観光大使であったような。当然といえば当然。奄美大島をPRする観光大使の一人として名前を末席に列ねさせていただけたことだけでも、まことに光栄なことである。
2013年1月1日