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From 龍雲

夜中までの凄まじい暴風雨が去って、今朝は台風一過の穏やかな陽射しが窓に広がっている。

夜中までの凄まじい暴風雨が去って、今朝は台風一過の穏やかな陽射しが窓に広がっている。台風17号、最大瞬間風速は65メートル。50メートルを超えると電柱が折れ、60メートルを超えると鉄筋の建物にも影響がでると言う。那覇では、観測史上3番目の暴風雨だったとか。実際、自分にとっても沖縄に住んで約14年間で最大の台風だったように思う。 5階のリビングのサッシに強烈な風と雨が叩きつけ、部屋が屠殺される家畜の鳴き声のような不気味な音を放って軋んでいた。夕方近くになって停電し、そのまま夜中の1時頃まで続いた。今朝になっても地上波のテレビ放送が今なお中断していて、北上中の台風の今後さらなる被害の広がりが心配される。
それにしても 停電は久しぶりの経験だった。子供の頃は実家でブレーカーが落ちることも含めて、昔は何かと言えば停電していたような記憶があるが、沖縄に住んでからはこれで3回目で、台風銀座にいて、たまたま住んでいる地域のせいなのか、たまたまツアー中で沖縄にいなかっただけなのかはわからないが、意外と停電の経験が少ない。
今から約10年ほど前、つまりはまだ幸せな結婚生活を営んでいた頃のことだが、沖縄に住んで1回目の停電の教訓から(きっと懐中電灯の電池がきれていたんだろう)、妻が2回目の停電に備えてタカラローソクのS-5号8本入を備蓄しており、そのうちの1本だけ使用した形跡があった。その時はすぐに電気が回復したものと思われるが、停電3回目の今回は、2本まるごと使用して、馴染みのある紺色の箱には残り5本となっている。
台風17号は大型だと聞いて今回は停電もあり得ると思い、懐中電灯の電池も、ローソクの在り処も確認して万全を期していた。にもかかわらず、その後、停電してから入浴のことを思い出し、陽の光りはまだ浴室にかろうじて届いてはいたが、お湯はすでに出ず、冷たい水でシャワーを浴びることとなった。その時何気なしに浴槽に半分溜めた水がよかった。シャワー後すぐに水が出なくなり、トイレに入って流す段になって初めて愚かにも気付いた。流れない。

 

ダイニングテーブルに設置したローソクの仄かな灯りのもとで軽い食事をした後、携帯電話でテレビを見たり、キャンプ用のラジオを聴いたりしてみたが、気分にどれもそぐわず、読みかけの本を読むことにした。五木寛之氏の『親鸞・激動編』下巻。最初、そのローソクの灯りだけでは読書には少し暗過ぎるかなと思いきや、灯りのおぼろに広がる範囲が狭いだけにかえってその物語に集中でき、むしろ煌煌とした明かりの下での読書よりも、その本の内容からしても訴えかけてくるものが五感に直接敏感に感じられる思いさえして、かってない不思議な読書体験だった。
絶え間ない人口音と、過剰なまでの明かりの中に暮らして、自分の心と対話することを忘れた現在人。灯りも音もない生活もたまにはいいもんだと、たった数時間の停電で思った。愚かにも。

 

「朝が来るのをあんなにありがたく思ったことはありません。避難所での夜は真っ暗闇で本当に恐くて不安で、夜が永遠と思えるほど長く感じました。」

 

先日、大船渡に激励に行った時、改めてこんな内容のことをファンの方が話していたことを思い出した。
あぁ、なんと俺は愚か者なんだろう。たった数時間の停電騒ぎで灯りも音もない生活もたまにはいいみたいな分かったような口をきいて。愚か過ぎるにもほどがある。真の暗闇の恐怖は体験したものにしかわからない。福島も同じだ。出かけて行ってどんな慰めを言っても、ふるさとに二度と戻れない絶望感と、目に見えない放射線の影響に怯えて暮らす不安感はそこに住む人にしかわからない。
豊かになって隣国と不毛な危険遊戯に現を抜かす権力者には、自然から戦争よりも恐い自然災害という戦いを挑まれているのがわからないのか?
世界中の指導者には、神からこの文明の存続を試されているのがわからないのか?

 

東北の被災地の一日も早い復興と、そこに暮らす人々の心の平安を祈ります。

 

2012年10月1日