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From 龍雲

二月も今日が最終日。

二月も今日が最終日。 今年は四年に一度の閏年ということなので、今日は二十九日。このサイトでこのメッセージを載せ始めたのが丁度今から四年前。いやはや、あまりの時の速さに、閏(うるう)年ならぬ憂(うれい)年、なんて洒落てる場合ではないが。
今年も一月、二月はあっと言う間に過ぎた。一日一生の思いで、時を大切に生きなければと決心しスタートした今年、元旦初日こそ、めずらしく仕事をし、その後ホテルのジムで汗を流すなど、例年になく幸先きのよいものだったが、しかしそれ以後、ピタッと何の運動もしてなく、気づいてみればやっぱりいつもの後悔の入り混じった「あっ」と言う間の一月、二月であった。(言い訳ではないが、マイ・ジョギング・コースの一部で中畑監督のDeNAが二月中キャンプをしており、その賑いの中を走るのが嫌で休んでいたことも理由としてある。実に迷惑)

 

ここ数年、一月、二月は自身のアルバムの制作をすることが多かったが今年はそれを秋からとして、代わりにこの二ヶ月間は作家として他の歌手の方の曲作りに励んでいた。有難くも二、三人の歌手の方に唄っていただくことになると思うが、それぞれレコーディングはこれからなので早くても五月、六月頃の発売になるのだろう。良い作品ができたと思うので是非こちらも聴いてほしい。発売が正式に決まればこのホーム・ページ上で紹介させていただきたい。

 

それともう一つ有難く嬉しい話し。
一昨年の夏、六つ違いの兄が胆嚢を患い仕事場で倒れ入院した。(おぉ?いや、兄が入院したことが有難く嬉しい訳ではなく、それはもちろん実に気の毒なことなのだが、日本語はむつかしいなぁ)その時たまたま帰省していた僕がその知らせを受け、他の家族の誰もが手術に立ち会えそうになかったので、一人病院に向かった。
病院は福岡県京都郡苅田町にある小波瀬病院で、実家のある豊津町から車で30分ぐらいで行ける。手術中、家族の待合室に入り、(何、執刀して下さる先生も院長先生で信頼のおけそうな方だし、早く悪いところは切ってスッキリすればいいんだ)と先ほど見た兄の転げ回るような痛み方も他人事に、文庫本を読みながら今夜は焼肉でも食べるかと呑気にいた。本に集中して時を忘れ、時計を見て二時間と少しばかり過ぎた頃、手術が終わった院長先生が突然目の前に現れ、兄の切り取ったばかりの胆嚢の黄ばんだ脂肪と、小さな十個程度の石を見せてくれ、無事手術が成功したことを告げて戻って行かれた。読書に没頭して不意をつかれた格好になって、情けなくも兄の切り取られたグロテスクな胆嚢が目に焼きつき離れず、おかげで、その夜の肉食はやめにした。ゲー。
兄はといえば、術後一日二日は痛みがあり苦しんでいたが、今ではすっかり良くなった様子で元気に仕事に復帰している。
「執刀してくれた院長先生、お前のこと永井龍雲って知ってたぞ」と後から兄に聞かされ、ならもう少し、ヘラヘラとした素顔を晒すのではなく、スターらしく毅然としておくんだったと悔やまれた。
つまりそれで有難く嬉しい話しと言うのは、その山家 仁先生が院長をなさっている陽明会・小波瀬病院から、今春開校する[おばせ看護学院]の校歌の依頼を受け作詞作曲した曲が学院歌として採用されたことだ。この偶然の出会いも兄の黄ばんだ胆嚢のおかげだと思えば、術後いきなり院長先生に見せられて思わず目を逸らせたことが恥ずかしくてならない。兄よ、この愚かな弟を許せ。そして兄の切り取られた胆嚢の黄ばんだ脂肪よ、石たちよ、永遠にさらばじゃ。
長崎県は佐世保市世知原町、宮崎県は高原町、両町のイメージ・ソングを作らせていただいたこと。それに福岡県立大学、今回、おばせ看護学院、両校歌を作らせていただいたことは、一生の名誉である。関係なさったすべての方に心より感謝する次第である。

 

明日から三月。 二日、三日と福岡は都久志会館で劇団[世田谷シルク]の芝居とジョイントの東日本震災チャリティー・コンサート。明日からの旅立ちに向けて今から準備開始。

 

今年デビュー35周年。この3月は25日からいよいよ始まる。

 

東京のコンサートは5月3日のさくらホール。象徴的な意味においても絶対に成功させなければならない。ソロの弾き語りに今回はとことんこだわるつもりだ。その理由については、四月に想い語ろう。

 

2012年3月1日