東京都の町田市と神奈川県の相模原市の境にその名も境川と言う小さな川がある。結婚して神奈川県の上鶴間に越して来てから、この川周辺の遊歩道をジョギングする習慣を作った。二、三歳の頃の娘達を自転車の前後のかごに乗せてのドライブにもここで遊んだが、本格的に市民ランナーを目指して練習を始めたのも、やはりここだった。
「すみません。この辺りに産婦人科があると思うんですけど、どこかわかります?」と若い妊婦。
「あ、知ってますよ。この先を50mぐらい行った右側にあります。」とジョギング中の僕。
「え?どこ? あ! あそこですね。」と僕を走り抜いて行く妊婦。
とまあ、こんな具合に妊婦にまでやすやすと追い越されるほど走り始めた頃は遅いスピードでしか走ることができなかったが、あれから10数年も経ち過去10度のマラソンの大会にも出て、まだ4時間を切ったことはないけれど、一応その余りでは走れるようになった。
夕方も暗くなるまで遊歩道を何周か走って、途中コンビニに立ち寄って、アイスキャンデーを頬張って帰宅する。ジョギングを始めた頃とコースは神奈川の川べりから沖縄の海辺にと変わったが、ジョギング後の帰宅パターンは今日も同じだった。
10日後に迫った青島太平洋マラソン大会、今年は到底、自己ベストを狙えそうにないので、楽しんで走ろうと思っている。時速10kmが調子がいい時のペース。これより速ければ、4時間を切って夢の3時間台。でも今年は無理。時速9kmで走り通せたら、比較的楽に完走できると思う。あくまで、ジョギング用の万歩計での計算で。
今年も宮崎に三浦和人さんの呼び掛けで、ピアノの古寺ななえさん、その他多くの仲間達が走りに、または応援に参加しに集まる。大会前日のライブで大会の雰囲気を大いに盛り上げて、大人たちの遅れて来た運動会をみんなで楽しみたい。
マラソン大会が終われば今年一年の活動もほぼ終り。今年も消化不良の感は拭えない。しかし、今年は未曾有の東北大震災があり、被災された多くの方達のことを思えば、ただ生かされているだけでも感謝しなくてはいけない。
来年に向けて、いや未来に向けて、この時代にあって夢を追いつつも新たな価値観に自分をなだめ馴染ませることができるか、できなければ厳しい未来が待っているだろう。
( でもきっと、きっとできないだろうな、俺は。
法人じゃないんだし、いくら時代が変わったと言われても人間がそう簡単に生き方を変えるなんてできないよな。あがいて、もがいて、死が訪れるその日まで精一杯生きるしか結局はないんだろう。)
来年はデビュー35周年。ちょっとした記念の年。
支えて来てくれた人達に、本当にありがとう。いかに愚かな僕でも僕に優しかった人達の顔は心がちゃんと覚えています。
安らかなクリスマスが、そして穏やかな正月が、被災された皆さんに訪れますように。
僭越ながら、家族にも。そして最愛の娘達にも。
2011年12月1日