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From 龍雲

最近、よく忘れ物をする。

最近、よく忘れ物をする。
携帯電話から財布、鍵、ショルダーバッグにはてはズボンまで。大体は見つかるからいいんだけれど、先日はジャケットを何処ぞに忘れてとうとう出て来なかった。宿泊したホテルに違いないと思うのだが、海外の出来事ゆえ、問い合わせて一度ないと答えられると諦めるしかない。高かったのに。
五十歳を過ぎると、脳細胞だけでも一日に十万個ぐらいは死滅するらしい。え、そんなに! と一瞬眉を寄せて驚くのだが、そもそも一体元々何個あっての十万個かわからないので驚いた自分が理解できない。でも、確実に歳とともに人や物の名前が出て来なくなったし、歌詞もじわじわと覚え難くなっている。きっと、この瞬間にも僕の多くの愛しき脳細胞がほとんど活躍の場も与えられず無垢なまま死滅しているに違いなく、そう思えば、鎮魂の歌でも唄って送ってやりたいのだが、その歌の歌詞が思い出せない。

 

飲み過ぎかなぁ。
娘達にもこの夏、寄ってたかって散々、「パパ!飲み過ぎ!」と詰られた。「仕事で飲むんだから仕方ないズェショウ」と説明しても呂律が回らないから全く説得力がない。でも実際、仕事で鍛われた酒なので、大事があればいつでもやめられる!と、豪語したのが十年前。今はやめられるか、もう自信がない。二親とも遺伝的にあまり飲める質ではないので子供達も成人して酒飲みにはならないと安心しているのだが、少しは男の酒を理解できる様になってもらいたい。酔ったのが父だとしても彼氏だとしても、「はい、はい、そうね。あなたの言う通りね」と優しく嫌みとは感じさせずあしらってくれるような、そう「男はつらいよ」の寅さんの妹さくらさんのような。あんな女性になってほしいな、うちの娘達も。でも実際にはあんな女性は映画にしか存在しないのだろうか?
求めて止まない男達は誰も、さくらさんを。

 

キレ過ぎ。
歳とともに怒りっぽくなっている。これも娘達といる時が多いのだが、例えば空港のカウンターだったり、レストランだったりで、徒らに長く待たされたり、係りの者が無愛想だったり、道理の合わないことをしかつめらしく言われた時などに、ついつい年甲斐もなく大声を上げてたりする。そんな時娘達は、「またか」と言う顔でジリジリと後ずさりして遠目で見ているのだが、後で「パパが悪い」と言われて、ついこんな説教を娘達にしたことがある。「他人の肩を持つのはやめなさい。ファミリーを一番に考えなさい」まるでこのセリフはゴッドファーザーpart2でアルパチーノがボスである自分を裏切った兄のフレドに告げた最後のセリフと生き写しではないか。と言うより、ほぼパクリだが。
子供の頃、家の親父もそうだった。何処か出かけるといつもトラブルを起こしていた。
子供の目線で見て、ヒヤヒヤさせられ嫌で嫌でたまらなかった。でも、この歳になって思うとキレ易い性分はあったとしても、親父はなかなか繊細な人で、それゆえに親父には親父なりの道理に合わないことがあってのことだったのだろうと思う。子供の前で恥をかかされたとか、子供のために急いでのことだとか。多かれ少なかれ自分も含め多くの親が経験することだと思う。それが証拠に僕も一人でいる時はあまり問題はない。とは言え、教育上反省すべき悪口も無きにしも非ず。何れにしても歳をとって厄介なところが親父と似て来た。

 

五十歳を過ぎてここに来て、老いると言うことがどんなことかだんだんと知らされて来ている。待ったなしの人生って感じがする。
映画「男はつらいよ」で寅さんが歳をとって寅さん自身の恋愛から甥のみつおの恋愛にストーリーがシフトして行ったように、時代の舞台が子供達に移ろうとしているのを感じるのもそのひとつだろう。子供達の健やかな成長を親としては当然喜ぶ反面、一個の人間としては、時代の脇に回らざるを得ない一抹の淋しさを感じるのも正直なところではあるまいか。誰もが通る道。天の計らいに例外なし。

 

娘達の人生が少しずつ動き始めたこの夏と、老いの風を少し感じ始めたこの夏の二つの夏が、僕の中ではそろそろ終わろうとしている。

 

2011年8月1日