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衆議院が解散した。今月10日に公示され、22日に総選挙が実施される。

衆議院が解散した。今月10日に公示され、22日に総選挙が実施される。
露骨な「森友・加計問題」隠しのために安倍さんが放った矢を、小池さんの新党・希望の党に前原さん率いる民進党が解党覚悟で合流するという奇策でもって今のところその矢をへし折った形だ。10日の公示日までにまだ一波乱も二波乱もありそうだが、とりあえず、奢り奢った現政権交代の可能性が出てきたことは歓迎されるべきで、個人的には、これが大同団結であろうとも、この国の民主主義を成熟させるために良い実を結んで欲しいと思っている。

人と人が仲良く生きて行くのって何でこんなに難しいんだろう。シーソーみたいなものか、誰かがリッチでいれば誰かが貧困に喘いでいるし、誰かが進もうとすると誰かが足を引っ張ろうとする。結局は人の心の問題で、恨みや嫉妬、差別意識等を心に抱えていては平和なんていうものは何処にも実現しない。一人の人間が他人に迷惑をかけることなく個人として実現したいことをそれぞれが尊重する。社会が手助けするしないは別として、少なくとも邪魔をされない世の中であることがどうしてできないのだろうか。自分を含めて多分国民の半分は分をわきまえて生きていると思う。でも残りの半分が主張する利己的エゴが世の中をしっちゃかめっちゃかにしているのだ。他の国だってその国に住む僕のような者が感じるのもたぶん同じなんだろう。未だ民主化されていない国であれば仕方ないが、民主主義国家なのであれば、そこのところに教育の力点を置いて、誰もが生きやすい国家を目指して欲しい。実現可能社会とは名ばかりで実現足ひっぱり社会的システムが出来上がっているのではないだろうか。

必要としてくれる人がそこにいるのなら、歌える場所であれば何処でも歌いたいし、聴いてもらいたい曲であればどのメディアからでも一定に流される。現実はどうだろうか。音楽界も硬直したシステムが出来上がっており、一部の勘違いした人間がその者の取るに足りない権力でもって当たり前のことを邪魔する。他の仕事においても似たり寄ったりではないのだろうか。これが人の社会だと言いてしまえばそれまでであるが、この世にあるのは誰の権力でもないのだ。この世にあるのは一人の人間が成した功績があるのみなのだ。

分かりやすい社会にしようではないか。人を落とす者は落とされる。
人を助ける者は助けられる。それを誰もが心して生きるなら、今よりは間違いなく良い世界が実現するだろう。

国の安全の問題。これは厄介だ。誰か素晴らしい指導者が何処ぞの国にでも現れて新しい世界の秩序を構築して欲しい。その人にドイツのメルケル首相が一番近いのか? それともイギリスの故ダイアナ妃の子であるウイリアム・ヘンリー王子兄弟か? アメリカのトランプさんでないことだけは確かであるが。
もしかして小池さんだったりして。買い被り過ぎか。
希望か失望か。
とにかく夢を見ることだけは諦めまい。