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ファンクラブの会報である『らんぷ新聞』の中に

 

ファンクラブの会報である『らんぷ新聞』の中に『お宝』紹介のコーナーを設けている。定期的にではなく何か思い出せばみたいな感じで時々その写真を載せて行ければと思って始めたが、これまでに写真で紹介したものと言えば、母の形見の指輪やその母に買ってもらったギター、一般旅行業務取扱主任者の合格証、マラソンの完走メダル、ラスベガスでスロットで勝った記念に買った時計等、大したものではないが何れも自分としては思い出深い『お宝』である。 締め切り迫ったこの夏号にも『お宝』何かないかと探してみたが、そろそろ底をついてきて思いあぐねていると、そうだ、と俄かに思い当たる物を見つけた。
それはかれこれ遡ることもう20年はなるだろう。羽田空港が今のようになる前、地方行きの搭乗ゲート前の立ち飲みスタンドでコーヒーを飲んで待っていると、そこにあの長嶋茂雄さんがやって来たではないか。生長嶋を球場以外で見るのはこの時二回目で、一回目は広島のホテルの喫茶店だった。デビューして2、3年目ぐらいの時で、雑誌の取材を受けていたら、小さい頃から憧れに憧れて来た長嶋さんが横を通り過ぎて行った。その後ろ姿をポカーンと目で追いながら、その後のインタビューが意識からぶっ飛んでしまったのを覚えている。我に返った頃には長嶋さんの姿はなく、「あぁ、サインをもらえば良かった」と激しく後悔したものだった。二回目の偶然、もうない、今度こそは絶対にサインを頂こうと思い、ショルダーバッグから素早く手帳を取り出して、「サインして下さい」と周りを憚らず大声ではっきりと言ったつもりだったが、実際は蚊の鳴くような声にしかなっていなかった。「ん~ここ?ここでいいの?」と例の甲高い声で長嶋さんは言って気持ちよくサインに応じてくれ、その後すぐに御付きの人と共に飛行機に搭乗して行かれた。
『お宝』はその長嶋茂雄さんのその時のサインである。沖縄にかれこれ16年前に越して来て仕事部屋の机の引き出しの奥に大切にしまっていた。引き出しから出して手帳を手に取ってわざわざ見ることはないにしても、引き出しの中にそれが存在していると思っただけでも心が豊かになって、鑑定団にでも出してやるか、えぇ、ぐらいの気持ちでいた。今引き出しを開けたら確実に長嶋のサインがそこに存在している。「アァ」と陶酔して倒れそうになりながらもようやく身を立て直し、久々に引き出しを開けて奥から手帳を取り出しそれを開いて見た。
「あれ、ない。サインがV。じゃなくて、サインがない。長嶋のサインがなーいー」どれほどの時間そこにそのまま昏睡していたのだろう、気が付けば床にはしたなくも涎が垂れていた。
結局、『お宝』にしようと思っていた長嶋さんのサインは見つからず、きっと酔っ払った時に誰かに気前よくノートをちぎってサインをあげたのだろう。全く覚えていないが、それしか考えられない。もったいない。
絶対にあると思っていたものがいつの間にかなくなっている。それは髪の毛についても言えるのかもしれない。なんて、締まらないオチだけど、笑って少しでも暑さを忘れてもらえたら嬉しいよ。じゃぁ、代わりに何を『お宝』にしたかって?
教えません。会費払ってファンクラブに入ってよ。人を助けると思って、ね。 暑中お見舞い申し上げます。

2015年8月