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From 龍雲

久しぶりに故郷に帰って来た。

 

久しぶりに故郷に帰って来た。
駅のホームを降りて眩しげに見上げた朝空は、幼い頃のままだった。
昔とすっかり変わった町並みに驚き戸惑いながら実家に辿り着くと、数軒先の店前で道路に水を打っていた八百屋のおばちゃんに見つかった。
「りゅうちゃん、帰って来てたんね」
「いや、今着いたところ。おばちゃんも変わらんね」
「なんがね、もうおばあちゃんたい」
自分が今年58歳なら優に80歳を超えているはずなのに、昔のおばちゃんと何故か全然変わっていなかった。まだ寝静まった実家にこっそり荷物を置いて、子供の頃良く遊んだ近くの神社に行ってみた。まだ朝も早く誰もいないだろうと来てみたが、そこでも知り合いの町内のお兄さんに見つかった。10歳以上年が離れていた筈だけどそのお兄さんも昔のままだった。
「きょう坊、帰ってたんか」
「りゅうです」
きょう坊と呼ばれていたのは6歳上の兄だった。
「あ、ごめん。りゅうちゃんやった。よう似てるな。もう歌手になって何年になる?」
「今年で38年」
「去年、紅白に長渕が出てたけど、りゅうちゃんも一回ぐらい出らな」
「俺、辞退したんですよ」
「そうか、アッハッハ、そうだと思った」
故郷に帰ると、この冗談がボディー・ブローみたいに意外ときつい。マジには出たいとは思わないが、それが歌手に対する大衆の偽ざる評価だと思えばやっぱり敗北感を禁じ得ない。
「それはそうと、中学校のグラウンドの所で何をやってるんですか?」
「あ、あれ? 石油の採掘をやってるんよ。ほら、確かりゅうちゃんと同級生のK坊がいたやろ?今そこで石油掘ってるよ。行ってみたら。でも本当に出るんかねあんな所に」

 

K坊と言う名前を聞いてあまりに懐かしく、居ても立ってもいられずにその足ですぐ石油採掘現場となっている中学校に向かった。何故だか幼い頃に仲の良かった友達は皆んな学校の成績が良く、官僚、県職員、会社の社長、学校の先生とそれぞれに堅実な職に就いていた。勉強もせず野球ばかりやって今は歌手になっている自分とは大違いだった。教師の子供であったK坊も一流大学を出て高校の先生をしてると聞いていたが、辞めて石油採掘の仕事をしていたとは思いもよらなかった。
昔、野球の練習をしていた中学校のグランド一帯が巨大な石油採掘現場と化しており、作業服を着て油まみれで配管作業をしているK坊を遠くに見つけ近づいて行って声をかけた。
「K坊、久しぶり。石油とか本当に出るんか?」
「出る出る。まぁ、馬鹿にする奴もおるけど、これを繋げば」
必死になって他の作業員と一緒に二つのパイプを繋げていた。バルブを境に二つのパイプが繋がれたと思った瞬間、空から真っ黒な油の雨が落ちて来た。
「K坊!出た出た!本当に石油だ!やったな!」
久しぶりの帰郷で、そのため見栄で買ったブランド物の白い夏服を着ていたにもかかわらず、油まみれのK坊に走り寄って行って思わず抱きついた。

 

その後、中学校の敷地内での祝賀会の席にいた。多勢の関係者に混じって懐かしい同級生の顔もちらほら見受けられ昔話に大いに花を咲かせた。したたかに酔ってパイプ椅子にがっくり一人腰掛け、こう考えていた。
( K坊にスポンサーになってもらおうかな。そうだ幼馴染なんだし、きっとなってくれるさ )
と弱気の心が。その後すかさずもう一つの声がして、
( 馬鹿野郎!そんなこと頼めるか。友達だったからこそプライドってものがあるだろう )
そんな心の葛藤を続けていてふと酔眼を上げたらもう周囲に人影はなく、自分一人だけがゴミの散乱した祝賀会場に取り残されていた。
「まぁ、世の中そんなもんだ」と独り言を言って椅子から立ち上がり帰ろうとした時、不意に拙作『蕭条の風』の二番の詩のフレーズが何処からともなく流れてきた。

 

“花も咲かせず嘆きの木々は
蕭条と吹く風にその身を揺らす”

 

トイレに起きて時計を見れば朝の5時半。
これは今朝見たたわい無い夢の話ではあるが、どこか現実的で切なさが後を引く。
部屋の外はすっかり明けている。でも、もう一度寝よう。娘達のことを思いながら。

 

“あどけない幼児の寝息に泣いて
幸福をと願わん 命引き換え”

 

2015年3月